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ウニョン先生と空飛ぶモトカレ

●2021年5月19日(水)

今朝は長いこと電車に乗るから出がけに本をつかんで出た。玄関横の本棚にちょうどいい文庫本がなかったものだから、手の届くところにあった単行本のチョン・セラン著『保健室のアン・ウニョン先生』を、持ち歩くにはでかいなあと思いながら荷物に入れた。

座れた渋谷から読みはじめて、これがとってもおもしろい。近ごろは図書館で気の向くままに借りてきた本たちを返却期限順に読んでいてなんとなく『アン・ウニョン』は読み途中のまま後回しにしていた。あらら。こんなにおもしろかったのね。あっという間に横浜駅だった。

仕事中も世界観をひきずって韓国の学校のことをウッスラ思い浮かべて(『アン・ウニョン』の舞台は韓国のM高校だ)、だから昼休憩のときにビルを出てすぐ目についた韓国料理店にフラッと吸い込まれたのもそのためかもしれない。で、スンドゥブチゲを待ちながら本の続きを読もうと手さげを探り、本を持ってきていないことに気がついた。ちぇっ。仕事先から軽装備で飛び出してきちゃったからな。あーあ。
……顔を上げるとそこにアン・ウニョン先生がいた。えっ。

店の真ん中の太い柱に薄いテレビが掛けられていて、そこに映し出された白衣の人、おもちゃのレインボーソードを振りかざす大人の女性は明らかにアン・ウニョン先生だった。音声は切られているものの、字幕を見ていると今朝の通勤時に馴染んだ「スングォン」「インピョ」などの人名が出てくる。わお。『アン・ウニョン』、映像化されてたんだ。

そこそこの偶然だなあとおもう。朝たまたま引っつかんで出てきた本の映像化に隣県のレストランで行き遭うとは。この作品はわたしにとって大きな意味をもつものなのでは? などとつい考えそうになる。

そしてスピリチュアルに傾倒していた昔の恋人がよく口にしていた言葉が頭に浮かぶ。それは「シンクロニシティ」。 

シンクロニシティっていうのは「意味のある偶然の一致」のことだそうだ。ユングが言いだしたらしい。

しかし元恋人のシンクロニシティは非常にハードルが低く、ユングのそれとはたぶんすっごく乖離があった。
互いの父親の出身県が同じとわかったら「シンクロニシティ」、ハンバーガー店の同じメニューが好きでも「シンクロニシティ」。つまりどんなに小さな共通項もかれにはシンクロニシティであり、そしてわたしたちはどちらも人間であるから、共通項はあとを断たない。恋人同士でいたのはわずか3か月ほどだが、同じ屋根の下でシンクロニシティシンクロニシティささやかれすぎてわたしはシンクロニシティがわからなくなった。シンクロニシティの大安売り会場だった。

恋人のことすきだったときはシンクロニシティ感じてる(シンクロニシティって感じるもの?)かれもステキだから「うんシンクロニシティだねえ」てニヤニヤしてたけど最後のほうは「シンクロニシティシンクロニシティうるせえ!」ってなったよね。奇声を発して部屋から飛び出したよね。ほんとうに。わたしの部屋を。しかし今はまさにわたしがシンクロニシティシンクロニシティうるせえ。何回シンクロニシティ言うんだ。 

きょうわたしが経験した『アン・ウニョン先生』にまつわる偶然は、本人的には大した偶然だなあという気がした。でも結局、わたしの中でこの一連のできごとはシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)というふうには処理されなかった。だってちょっと考えてみると、 

 ・『保健室のアン・ウニョン先生』を読みながら通勤した
 ・韓国料理店に行くと店のテレビに『アン・ウニョン』が再生されていた

これらのことが同じ日に起こる確率はたいして低くない。わたしは話題の小説を読み、話題の作品の多くは映像化されるので、街でそれらの作品に出会う可能性は高くなる。ましてや韓国料理店だ。これがフィンランド料理店だったなら驚くべきことかもしれないが。
わたしはたまたま『アン・ウニョン』のつづきのことを考えていて顔を上げ、そこに動くアン・ウニョン先生がいたから驚いたが、確率的にはそれほど驚くべき偶然ではなかったわけだ。

この一件はそのようにわたしには処理された。 アン・ウニョンが運命的にわたしを引き寄せたのではないし、ましてや何者か大いなる存在がアン・ウニョンを通じてわたしに重要なメッセージを送っているのでもない。わたしは何も動かない。「ちょっとびっくりしたけど、あるよね〜」で終わり。

あのシンクロニシティ好きの元恋人が同じ経験をしたらどうなっただろうか。と考えてわたしはいじわるな類の笑いを浮かべた。同じ日に同じメニューを食べたいと思っていただけで目をうるませていた人だ。きょうのわたしみたいなことがあったら腰ぬかしたんじゃないかな。腰ぬかしたあと、「韓国がぼくを呼んでいる」とかいって仕事やめて荷物まとめて航空券とって韓国に飛んでいきそう。じっさいかれは住居を転々としていて、別れたあとも突拍子もない土地から過度に感傷的な手紙が送られてきたりした。あの人すぐ空飛ぶんだよな。

あれ?

ここでわたしのうすら笑いは消えた。え、なんか、そっちのほうがおもしろくない?

運命とか引き寄せとか、そんなものないって、すべては偶然だってクールに悟ったつもりのわたしのお尻は床にべったりついたままで、スピッたやばい昔の恋人はちょっとの呼び声(の幻聴)にも簡単に心を震わせて空を飛ぶ。

かれを突き動かしているものがいかがわしい幻であろうとも、動かないのはわたしで、動いているのがかれだ。……

いや、動きのある人生がえらいわけじゃないんだけど。そもそも人生に意味があるなんて幻想だし。とわたしはここでも1ミリたりとも腰を上げず、頭の中だけぶつくさ言っている。

ともかく映像化された「保健教師アン・ウニョン」はとても楽しそうだった。おもちゃのソードをぶん回すウニョン先生はとびきりキュートで、霊力(霊力?)を使いすぎてラリった表情も魅力的。敵としてでかいバケモンが出てくるんだけど、そのバケモンのチープさもよい。「地獄先生ぬ〜べ〜」っぽいところがある。せっかく行き遭ったのだから時間があるときにNetflixで見ようとおもった。これくらいの乗っかりかたがわたしにはちょうどいいかな。


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