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●2021年5月の日記 【上旬】

5月1日(日)

子どもを連れて仕事に行った。目的地に着いたら雨が降りだした。駅前の広場で開催されていた何かのフェスタがあわただしく仕舞われていくのを見た。子どもは仕舞いかけの風船をピエロからもらっていた。
子どもといっしょに仕事に行くことは普段ない。わたしがしている仕事は美術モデルで、仕事先では「静かに」「止まっていること」が要求される。どちらも子どもとは相性最悪であるのが一瞬でわかる要素だ。自分の監護者が「静かに」「止まっていること」を何時間も遂行する場に居合わせるのは小さな子どもにとってはかなりしんどいことだと思う。
しかし今回は、わたしと子どもを描きたいという依頼だった。4さいの子どもが止まってポーズなんてどだい無理。それは依頼主も承知の上で、「動いて大丈夫」とのことだった。普段着で普段通り親子で遊んでいるところを描き手が取り囲んで速描きするという企画。「静かに」も「止まって」も今回は免除である。
依頼をもらった日、子どもに相談した。「お仕事いっしょにするのってどうかな?いやだったら…」とこちらがおずおず言うのにかぶせて彼は「いいよー!」と勢いよく言った。
「いっしょにお仕事いつ?あした?あさって?…来月なの?やだ!」と待ちきれないようすで、すこぶる楽しみそうにしてくれていた。「仕事」のことはよくわからずとも、「いっしょに」を尊んでくれる季節らしい。今。
いよいよ当日をむかえた今日、会場にはたくさんのアイテムを持ち込んだ。子どもをなるべくモデル台(描き手よりもいくらか地面が高くなっている)の上に楽しく惹きつけておくための小道具。折り紙、クレヨン、自由画帳、はさみ、のり、マスキングテープ、カードゲーム、すごろく、長めの絵本。備えても備えても足りない気がした。
ポーズ時間のあいだ、手をかえ品をかえ子どもと遊んだ。子どもはあわただしく遊びかたを変えながらも、楽しんで台の上にに居続けてくれた。人々に囲まれていることを意識しつつも、リラックスして遊んでいるようだった。いまのこの子はこんな振る舞いができるのだなあと驚いてしまった。
じわじわ動く子どもをえげつない速描きで捉える描き手の人びともすごかった。

仕事を終えてふたりで打ち上げをした。ちゃんぽん屋でちゃんぽんを食べた。この子と打ち上げをするのははじめてだなあと思った。

5月3日(火・祝)

夫の両親の家、子どもにとっては祖父母の家に遊びに来ている。一泊させてもらう。
子どもには父方・母方の祖父母がある。おじいちゃんもおばあちゃんもふたりずつだ。ふたりずついることを不思議がっていた時期もあった。今は「○○(地名)のおばあちゃん」「●●のおばあちゃん」などとしてそれぞれの存在を受けとめているようだ。彼的にどのおばあちゃん・おじいちゃんが特に仲よいとか好きだとかの序列は(まだ)ないようだ。ただおばあちゃんおじいちゃんに会いに行くというイベント自体を愛しているらしく、今日も朝からすごく盛り上がっていた。朝、ふとんの中で目が合った瞬間に「今日さ、おばあちゃんおじいちゃんちいく日だよね」と言った。向かう途中でごはん屋さんに寄って昼食を食べるのも渋ったくらいだ。「まずおばあちゃんち行く。ごはん食べてから行くのやだ」と言って。なんとか説き伏せてタコベルでタコスを食べたが。

夫の両親の家は駅から離れた静かな住宅街にある一軒家だ。広くて、家の中に階段があるところが子どものお気に入りポイントだが、子どもはその階段から転落したことがある。2歳のころだった。「階段でごろんごろんしちゃったときあるよねー。ぼく」とほがらかに話すのでわたしも夫も「ごめん…」とうなだれた。われわれのクソミスが原因だったのだ。

夫の母の焼いてくれたハンバーグが美味しく、子どもがよく食べた。わたしも、人の作りしごはんは本当に美味しいなあとしみじみしながらいただいた。夫の母が出してくれたらっきょう漬けを子どもがぽりぽり食べるので驚いた。そういうことならとわたしもぼりぼりいただいた。家族でひとりだけらっきょうくさくなるのは勇気がいるが(夫はらっきょうを食べない人なのだ)、子どもと一緒ならどこまででもらっきょうくさくなってしまおう。というわけで就寝時のわたしたち母子は歯をみがいても仲良くらっきょうくさかった。

5月4日(水・祝)

子どもの祖父母の家の近くの小さな山は農地としてひらかれていて、犬や子ども連れの散歩スポットになっている。祖父母が犬を連れて行くのにわれわれ親子もついていって朝の散歩をした。思ったけど、見晴らしがいいってそれだけで素晴らしい。

きれいな放射状
これも放射状

たっぷり遊んで東京の家に帰った。
少し前までなら子どもは出かけた日には体力をつかいはたして夕方ごろにすこぉんと眠ってしまって朝まで起きない、ということも多かったが、4さいになったいま彼の気力体力はそこまでチョロくなく、眠りをいざなうまでかなりの時間を要した。成長を感じた。

街での飲みに誘われていたのでいそいそと町着に着替えて出かけた。夜にひとりで、近所じゃなくて街に出かけていくなんて4年以上していないことだった。高揚した。夜道や、上り電車の空いている感じ。

混んでいる酒場の多幸感に頭がしびれた。何年も会っていなかった飲み友だちたちとの浅くて明るい会話が心地よかった。最初は酒量に気をつけていたのだが結局はしこたま飲んだ。楽しかったのはおぼえているけれど何を話したかはほとんど思い出せないから、いつも通り大した話はしていないのだろう。そういう数年越しのいつも通りを味わいつくしたし、その後の悪酔いも味わいつくした。タクシーで帰宅。

5月5日(木・祝)

〜二日酔い〜
へばって寝ていたわたしを子どもが撮っていた。その動画をのちに自分のスマホに発見した。

5月6日(金)

ベランダのイチゴがごろごろなっている。イチゴが大好きな子どもに収穫してもらわねばと思ったまま数日が経過している。今日も子どもを幼稚園に送ってから気がついた。鳥が来てついばんでしまうかもしれなくてハラハラする。

5月7日(土)

イチゴ収穫祭

ベランダのイチゴは近所の知り合いの家の庭にお邪魔したときにその家の女性が気軽に土ごと掘り出してビニール袋に入れて株分けしてくれたものだ。大して期待せずにプランターに植え替えたらみるみるツルをのばして土のあるかぎり増え続け、花を咲かせ、旬にはみずみずしく甘いイチゴをどんぶり一杯、わたしたちに恵んでくれるようになった。
今年の鳥にはまだ目をつけられていないのか食べられてしまうこともほとんどなかった。われわれ人間の総取り!
うまいこと株を増やせたら、来年にはベランダのイチゴでジャムづくりも夢じゃないのでは。

5月8日(日)

朝から夕方まで仕事。
40分くらいの昼休みでかけこんだKFCで注文した和風チキンカツサンドがまったく足りず、コンビニでチョコレート菓子とおつまみサラミを買って休憩室で食べ足した(『食べ足す』という食いしん坊ならではの発想)。

しょっぱい、あまい、しょっぱい、あまい…

LINEで夫から写真が送られてきた。子どもがよそのお父さんらしき男性に絵本を読んでもらっている姿が写されていた。児童館に行ったのか。夫は今日はデカい公園に連れて行きたいようだったけれど、不採用にされたらしい。彼の、子どもの意向をいつも最終的には汲むところ、すてきな養育者だとおもう。

日曜日に仕事をするのはとても楽しくて、脚はしびれたけれど、充たされて帰った。わたしの「しょっぱい→あまい→…セット」の残りは子どもにも好評だった。

5月9日(月)

デパートの中にあるでかい本屋でウロついて仕事までの浮いた時間をつぶした。今日はなんだか仕事にたいしてソワソワしていて、本のタイトルにうまくピントが合わなかった。仕事のための荷物がただでさえ重かったから、下手に本と目が合って重量を増やさずに済み、よかったのかもしれない。

5月10日(火)

子ども連れでは頻回に会っていたけどふたりで会うのは4年ぶり、という友だちと昼のカフェで待ち合わせた。サシで会えるのがうれしくてお気に入りのトラ柄のシャツを着ていった。わたしも彼女も寅年なのである。席につくなり彼女はわたしを指さして「そのトラ交尾してない?!」と言った。交尾はしていない、けど着目してくれてうれしい。
コーヒーフロートやビールフロート(!)を飲みつつおしゃべりしていると時間がギュンギュン過ぎた。
子どもを交えての会話もそれはそれで楽しい。でも、子どもへの配慮や説明や返答が省かれることで、女友だちとの会話はこんなにも「最速」で通じるのか…と驚いてしまった。これまで3Gで普通だと思っていたのがいきなり5G対応になってがく然、みたいな。
またこの会やろうね、と言いあって別れた。名残惜しかった。
お互いを撮りあった写真をあとで見たらどちらのもすごくいい顔していて、やったーと思った。

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