18さい、スイとのこと(2)、逃亡癖と冷蔵庫
スイのことが好きだった。ほんとうに、すごく。付き合う前から。付き合ってからはもっと。でも、例の公園、別れの儀がセンチメンタルに執り行われた夜の1ヶ月前にはすでにわたしの気持ちは終わってしまっていた。
大好きから終了までストンといってしまったきっかけは、たった一つの小さな幻滅だった。幻滅したのは、スイからにじみ出たごく普通の、ありふれた思い上がりに対してだった。誰とも付き合ったことがなく、自信に満ちているとはいえない17歳の男の子が、自分を好きだという女の子と交際してあれよあれよとセックスまでいったのだから、思い上がりなんて当然ある。わたしだって絶対どこかの部分で思い上がっていたはずなのに、スイのそれは見過ごせなかった。
付き合いはじめたとき、スイはわたしの救い主であった。わたしを好きだというわたしの好きな人。完璧だ。誰にも愛されずに生きていく恐怖からこの身を掬い上げてくれた。ありがたい、ありがたいと、膝をついて崇めるようにスイを好きだった。わたしのそれまでの愛への飢餓状態が、スイをますます完璧な存在として祀り上げていた。天使みたいに。わたしの方に、スイが完璧である必要があったのだ。
でも付き合って4ヶ月、スイがふたりの関係にすっかり安心してちょっとばかり思い上がったことを言いわたしをがっかりさせたとき、スイの天使像の表面に小さな亀裂が入った。ほかの部分が完璧で、ぴかぴか光って傷ひとつないからこそ、その亀裂はひときわ醜く目立った。その傷ひとつでなんだかスイのことが嫌になってしまった。自分からすすんでよいしょよいしょと持ちあげて、台座の上に据え付けたスイの像。その足もとから、わたしはすっくと立ち上がり、首を振ってその場を後にした。
実のところ亀裂が入って損なわれたのはスイではない。ただのわたしの心だった。好きな男と付き合えて最強になったと思い込んでいた、あいもかわらず脆弱なハート。その外側を包み込んでいたつやつやのハリボテは、ひと突きでかんたんに崩れてしまった。その裂け目からのぞくものを見たくはなかった。以前と変わらぬ陰気さで上目遣いにこちらを伺う、自分自身の姿が見える気がした。そいつはニヤニヤ笑っているようにも思えた、「本当にうまくいくと思ってた? ねえ」。
スイから逃げることにした。目をそらしているために。スイと離れていればこれ以上、嫌な部分を見なくて済むと思った。スイの。自分の。
ならば別れを切り出せばよかったのにそうはしなかった。愛を知ったとさんざん得意になっていたのに、これほどかんたんに冷めてしまった。つまりどうやら愛なんて全く掴んでいなかったという事実を、決定的にしたくなかったからだ。
このときの感覚がなにかに似ているなと引っかかっていて、少し考えたらわかった。これはあれだ、冷蔵庫から出したジャムやなんかがカビていたとき、捨てればいいのになぜか蓋をして冷蔵庫に戻してしまう、あの謎の行動と同じなのだ。わたしはこれ、大変やりがちである。この残念な心理、10代のこのときにはすでにわたしの基礎部分にはびこっていて、30を過ぎた今に至るまでわたしを動かし続けてきたらしい。
スイから逃げることに決めたそのときから、日課だったメールのやりとりも、こちらから送る文面は極端に短くなった。そのうちにやりとり自体ほとんどなくなった。学校で顔を合わせることも避けた。折よく3学年に上がったことでそれができた。クラスが分かれたのだ。それぞれが文系と理系、受ける授業の科目もばらばらだから、授業でいっしょになることはない。しかし学校という小さな世界で完全に接触を避けるのは難しく、廊下や購買や自転車置き場でかち合いそうになることもしばしばだった。それでもわたしはスイの気配をするどく察知して素早く動き、いつも逃げおおせた。あるときは階段を昇っているときに上の階から男の子たちの笑い声が近づいてきて、その中にスイがいるのがわかった。わたしはダッシュで下の階に取って返してトイレに逃げ隠れた。階段を一段飛ばしに駆け下りたときの光景をなぜかよく憶えている。自分でも滑稽に思えたからかもしれない。何をこんなに必死になって、息まで切らして、彼氏から。今考えても滑稽だが、なかなかに切実な逃亡だったのだ。
それまでスイとの蜜月のためにかなり削っていたバイト先のシフトも、もう、みっちり入れることにした。スイに誘われてもシフトを理由に断れるように。逃げられるしバイト代は入るしでいいことだらけ。やったね。
それでバイトに精を出していたらバイト先の専門学校生に言い寄られた。言い寄られたことなんて一度もなかったのにどうしてこのタイミングで、と当時は思った。でも必然だ。今から見れば一目瞭然。わたしの弱いハートには例の亀裂が変わらぬ形のまま入っていた。その手の亀裂は必ず声をあげて、ふさわしい人間を呼び込む。
わたしはすすんでそのひとと寝た。
彼氏との関係を自分で終わらせることを面倒がって、こんなふうに他のひととの逢瀬でうやむやにしようとしていたとき、スイから別れを切り出して決着をつけてくれたのだから、ラッキー、渡りに船。願ってもいない話だった。
だったのだけれども、スイが別れを切り出してきたことにはすごく驚いてしまった。自分はさんざん露骨に逃げ回ってきたくせに、その間スイもスイで考えを進めていたことは意外だったのだ。「えーっ!」ていうくらい。スイはわたしがほかの人とやっているのも知らずに今でも普通にわたしのことを好きなんだろうと思っていた。ばかにしていたのだ。相手にも考える頭があって、血の通った身体と心があった。それをわたしはわかっていなかった。
愛を知る人間どころか人でなし。
生まれてはじめて実った恋愛で、わたしが自らに知らしめたのは、わたしがそういう人間であることだった。
好きな人がいると言うスイに、わたしも他のひとと関係を持っていることは言わなかった。かわいそうな側にいることを選んだ。人でなしである自分を伏せることで、バランスを取ろうとしたのだ。今やわたしの思い上がりも相当なものだとわかった、でもスイはそのことを知らないし、わたしは袖にされるんだし。――そうやって、自分では手をくださずに、悪者になることもなく、ひとつの恋愛を終えた。わたしの卑怯さを知るのはわたしただひとりだった。しかしその印象は他ならぬわたし自身にじゅうぶんな深さで刻まれた。
わたしは18歳になっていた。
スイのおかげでもう誰からも逃げ回る必要はなくなったというのに、今度は学校から逃避することになった。
スイと別れるにあたって自分で望んだ「かわいそうポジション」に対する周りの反応が予想よりも手厚いものだったので、うんざりしてしまったのだ。それで学校生活自体が嫌になった。我ながら勝手だと思う。
逃避先として、バイト先の遊び相手とはもう何ヶ月か続いた。ほかにも学校の外で会う男のひとが複数いるようにした。友人に紹介してもらったひと、夜に出歩いていたときナンパしてきたひと、出会い系のサイトで知り合って会うようになったひと。意識的に男のひとたちとの繋がりを増やした。まめに連絡を取り、夜と休日はかれらとの刺激的なデートに充てた。卒業のため学校には最低限の日数だけ通いながらも、強い関心ごとを外に作ることで、心はここにないのだと思うことができた。実際に教室でのわたしは常に心ここにあらずだった。
結果的にはそのときの遊び相手のひとり、出会い系の男のひとがすごく……良くて、付き合うまでは至らなかったものの、とてもまっすぐにのめり込むことができた。その人は東京に住んでいたから、東京の大学に通うことができれば頻繁に会いに行けるのでは? と見込んで受験勉強にたいそう打ち込んだ。愛欲を赤本にたたきつける勉強法。おそろしくはかどった(おすすめだ)。東京の大学に入学できることが決まった。
高校に報告すると先生たちは学校に来ない不真面目なわたししか知らないのでびっくりして、本当なら出席日数足りてないよとぷりぷり言いながら卒業を許可してくれた。親切だ。良かった。そんなこんなで高校からは無事に逃げ切れてしまった。
逃げ切ったことで、高校時代の思い出を、いいことも悪いことも一緒くたにほとんど忘れ去ってしまった。ここまで書いたのも、書きながらなんとか記憶からほじくりかえすことができた部分的なものだ。
どうも高校時代の記憶が薄いなと、気になったのは最近のことだ。高校時代の知人たちが当時の思い出を持ち出すときの、「1年のときうちの8組は教室4階でさ、教室移動がだるかった」とか、「○○、購買に行くといつもコーヒー牛乳と焼きそばパン買ってたよね」とか、「2年のとき△△たちとお弁当食べてたバレー部の○○さんが……」的な記憶の濃密さ、鮮やかさに較べると、わたしは何も憶えていないに等しい。みんなよく憶えてるなーくらいに思っていたけれど、どうやらわたしの記憶がスカスカすぎるのだ。
幼児期や小学校時分のことなら記憶があいまいなのも頷ける。物心ついていないもの。でも高校での日々の記憶がすでに空洞に近くなっているのはおかしい、10代後半といえばその後のどんな時期よりも物事をビビッドに受け取っていたはずの年頃で、楽しいことも悔しいこともズシズシ心に刻まれていていいはずだ。それにまだ何十年も昔のことというわけではないのだし。
もう明らかにこの18歳のときの逃避が原因だった。当時、嫌気がさした高校生活を未消化のまま自分の裡にしまいこんでなかったものみたいに忘れようとした。結果わたしはまんまと忘れ、忘れていることも忘れていた。
わたしにはそのように、ちょっとでも嫌になった物事を封印してなかったことにする癖があるみたいだ。高校のことで顕著だけれど、というかそれがうまくいったので味をしめたのかもしれない、それからもわたしは恋愛・人間関係・職場のことでこの手を多用した。
「カビたジャムの瓶」とさっき書いたけれど本当にそんな感覚で、ちょっと手を付けただけで駄目にしてしまった瓶モノをいくつもいくつも冷蔵庫の奥に押しやった。高校のこと。挫折した大学時代。2人目の彼氏。4人目の彼氏。はじめて勤めた職場。親との関係。それに、忘れたことすら忘れている、その他たくさんの記憶。気がつけばわたしの冷蔵庫はそういう瓶詰めでいっぱいだ。
はじめての彼氏であったスイとのことでも、わたしは瓶を見えないところにさっさとしまい込もうとした。それをスイが奥からわざわざ引っ張り出してきて、「これ、もう食べられないよね」と言ったために、何をいまさら、と思いながらも片付けざるを得なくなった。思えば、あの別れ話をした夜の公園で二人、もう終わったことについて4時間もつらつらと話をしたのはお片付けの一環だったのだろう。できればもう見たくない瓶の中身を、そのドロドロとして表面のカビた内容物を、かき出して三角コーナーにあけてビニール袋に入れてかたくしばって葬って、瓶を洗って分別ゴミに出す。そういう途方もなく面倒くさい作業だったのだ。今では思う。あれはほんとうに先に進むために必要な作業だったのだと。でもスイが切り出さなければ絶対にやらなかったはずだ。
ちゃんと片付けなかった瓶の数々が今も冷蔵庫の奥に眠っていて、今、わたしはその影の大きさに立ち尽くしているところだ。瓶はずっとここにあり続けたのだ、腐敗を進めながら。なかったことにして忘れただけで、消えてくれはしなかったものたち。いやあ、当然だよね。
わたしにはもう、どれが何の瓶かもわからなくなっているのに、どうやら全部片付けなくちゃならない。だってわたしの冷蔵庫、自分でせっせと腐らせた過去が段を圧迫していて、新しいものを入れるスペースがあまりないのだ。実際、現在のわたしの日々の出来事に対する感度はものすごく鈍くなっている。今日の楽しかったことひとつ、思い出にしてとっておくことも難しい。日々が濁流のように目の前を過ぎ去っていくだけで、全部忘れてしまう。容量に空きがないせいだ。わたしの頭は、なかったことにして捨て去ったはずの記憶に埋もれている。
要はそこかしこであらゆる精算をせずに逃げ回ってきたツケが30代の半ばになって回ってきたぞ! というありがちな話で、普通のテンションで人生と向き合って生きてきた人たちからしたら「そりゃそうだ」のひと言だと思う。のらりくらりと楽をして生き延びてきたツケを払うときがきたんでしょ、アカリちゃん。
でもわたしには驚きだった、なかったことにして忘れることが、かえって、その記憶に埋もれることになるだなんて。
これから瓶のひとつひとつを手に取ってかたい蓋を開け、半べそかきながら中身を出して処理していかなくちゃならない。そういう時間帯がやってきた。
多分、奥に押しやってしまったあのときならまだ片付けるのも楽だったのにな。なんならまだ食べられるのもあったかも。そういう泣きごとを言いながら、くされ神になりかけた過去をひたすら思い出していくのだ。ひとつひとつ。思い出さないことには処理もできない。
思い出すことでしか心を解放してやれない。というか出来ることがもうそれしかなくなってしまった。何度道を変えても同じ行き止まりに辿り着いてしまう迷路みたいに、わたしの目の前には事あるごとに冷蔵庫が立ち塞がる。これを何とかしないと先に進めないことは、いかに記憶の定着しない頭でも、理解しないわけにはいかない。
17、18歳の記憶をここに引きずり出してきたのも作業の一環で、ここを手がかりにしてほかの記憶にもアクセスしたい。深く潜る。深く深く潜る。すべて思い出せ。わたしよ。
忘れてきたこと全部思い出したい。
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