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●2021年7月の日記 【中旬】

7月11日(日)

日曜日、朝食のパンがない。という状況にムラッときてクレープを焼いた。わたしがまだ小中学生だったころ週末の朝によく食べていたのだ。もう20年は焼いていないはず。でもなんとなく焼きかたのコツみたいなものは覚えていてそこそこうまく焼けた。タネは子どもが混ぜてくれてとてもなめらかにできた。そのおかげでうまくいったかもしれない。ジャムやツナマヨをくるんでやると子どもがものすごい勢いで食べだして、気に入ってくれたのはうれしいんだけどなんか「おいしくてしあわせ!」っていうよりは好きすぎておかしくなっている感じだった。泣いていた。泣きながら次々とクレープを食す子ども。かわいそうに。わたしは1枚確保するのがやっとだったし、思い描いていたクレープパーティーとは違うものだったが、クレープにまつわる新しい景色を得た。

夕方から仕事に行くのでバスに乗った。バスの外は嵐で雷がバリバリ落ちていた。雨もすさまじいものがあり車道の端がちょっとした川になっていた。それでも10分もしたらバスで嵐を抜けたらしく、終点で降りるときには傘がいらないくらいだった。高いところを走る電車に乗ったから虹でも見えるかと期待したけれどそこまでは晴れなかった。

仕事は緊張した。終わるとどっぷりと夜で、子どもが寝た旨、夫からの連絡が入っていた。ビールを買って帰った。激しい雨の痕跡は街にほとんどなかった。

7月12日(月)

子どもの起床が早い。5時半にむっくり起き上がって冷蔵庫を開けたり閉めたりしているのが気になり、仕方がなくわたしも起きた。そして昨日の手作りクレープに味をしめて今朝も焼くことにした。牛乳が足りずにプレーンヨーグルトとその上澄み汁(ホエイ?)で間に合わせたけど特におかしな味にはならなくてちゃんとおいしかった。甘味関係は分量にかなりシビアな印象があるが、クレープというのはかなり懐の大きい主食なのかもしれない。

昨日はクレープ好きさに取り乱して泣いていた子どもも今日は冷静にクレープを待つことができ、つまり2日目にしてちょっと飽きていた。おかげでわたしも3枚は食べられた。いちごジャムとクリームチーズをぬった。紅茶を冷やしたのといっしょに食べた。なかなか優雅な朝を過ごしたわけだが、なんだかんだで子どもの幼稚園には遅刻したから不思議でならない。わが家の朝の過ごしかたの問題点、第三者機関に診断してほしい。

7月13日(火)

仕事のあとに友人と待ち合わせて間違いないうどんこと丸香のうどんを食べた。

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麺、うつくしい
(撮影・友人)

コシのある系統のうどんに関しては冷たくて出汁に浸かっていない状態(いわゆるざるうどん)で食すのがいちばん麺のポテンシャルがわかりやすい。はじめてのうどん店での初手はざるに限る。…と独自の"うどん道"を語ってくれたのは、今日の同行者である友人だった。それを聞いてからわたしも初訪問のうどん店での初手はざるにすることが多い。冬場などでどうしても温かいお出汁がほしいときは「ひやあつ」(つめたい麺を温かいお出汁につけて食べる)でいただいたりもするが、基本ざるである。コシ至上主義、コシバカ一代のひとにはおすすめである。迷うことが減るのがいい。うどん店ってただでさえ選択肢が多様で考えること多くてたいへんだし。

うどんのあと友人と喫茶店に流れてコーヒーゼリーを食べたのだが、このコーヒーゼリーが大量なうえに濃くてたぶんアイスコーヒー中ジョッキ1杯相当くらいのカフェインを摂った。わたしも友人もカフェインに弱く、帰宅後夜になってふたりともギンギンであることをLINEで確認した。

ギンギンで眠れないのでチョン・ミョングァン著『鯨』のつづきを読みはじめたら最後、読みおわるまでやめられなくなってしまった。

午前3時半。明日がこわい。

7月14日(水)

カフェインによる変な高揚のなかで読んだせいだろうか。昨日の深夜というか今日未明というのかに読み終えた『鯨』の読後感が目覚めてもまだざらりと残っていて、いやな感じだ。寝る時間を惜しんで読んだし楽しかったし物語の壮大さは完全にすきなタイプの壮大さだったのに、このざらついた気持ちはいったいどこから来るんだろう。濡れて黒く重い砂粒が心の底にたまっているみたいで戸惑う。長編を夢中になって読み切ってもこんなことがあるのか。なんだかわたしはまだまだ読書初心者だ。読んで感じたことや考えたことも自分でうまくわからない。澱を抱えたままぼんやりとしたゆううつの中で一日を過ごした。

7月15日(木)

幼稚園帰りにモスバーガーに入った。クラフトコーラというのがドリンクメニューにお目見えしていて気になった。飲んでみたらやたらとおいしかった。

スパイス×甘み=快感

ここ数日、子どもはしきりに「やっほっほー夏休みーやっほっほー夏休みー」と夏休みソングを歌い上げている。拳を高々と突き上げる振り付きで。あんまり楽しげな歌詞なので、夏休みにおそれをなす一介の親であるわたしもちょっとわくわく気分に引きずりこまれてしまう。音楽はすごい。っていうかちょっと怖い。わたしの単純さ、乗せられやすさがいちばん怖いか。夏休みが楽しみになるくらいの染められならいいんだけど。やっほっほー

7月16日(金)

幼稚園の1学期はきょうで終わり。親同伴の終園式はあっという間にお開きになり、ホールから園庭に放り出された子どもたちは思いがけず得た自由に浮かれて炎天下を駆けまわった。それでも5分も遊べば親にうながされてしぶしぶ帰る子がほとんどだが、きょうは15分経っても少しも帰る気のない子どもが3人。こういうときいつもわたしの子どもは含まれている。白目をむいた親も3人、あきらめてすべり台やダンゴムシ捕獲に付きあった。更に子どもたちの公園コールに負けて、親子3組で公園で遊んだ。親のうちひとりは父親で、なぜか子どもたちはその人ばかりを水鉄砲で狙いうちしていた。30分も遊ぶとその人は水の染みだらけになっていて、猛暑日だからすぐに乾くとはいえ水鉄砲を持ち込んだ張本人であるわたしは恐縮した。恐縮しながら笑ってしまった。

午後は友だち親子とサイゼリヤで待ち合わせた。サイゼリヤは久しぶり。

10代から20代にかけてのけっこう長い期間、サイゼリヤでアルバイトをしていた。時給は750えんだった。のちに上がって800えんだった。いま考えると腰抜かすほどやすいな。

前にサイゼリヤを訪れたときにはなかった商品がメニューにいくつか見られ、「まーたわたしの知らんところで!」と謎の憤慨をしながらワクワク頼んだのはトマト味のモツ煮込み。新境地だった。ワインを飲めないのがつらかった(緊急事態宣言下)。

友だち親子が合流してからは甘味をたんのうした。コーヒーゼリーのアイスティラミス乗せというなんだかアルバイト店員の悪ふざけが発祥みたいなデザートを食べた。おいしくて笑った。

それからすずしい屋内に子どもたちを解き放ち、友だちと友だち同士のおしゃべりをした。

家に帰って服を脱ぐとタンクトップのかたちをくっきりと残して焼けていたので「だっさ!」と声がでた。涙目になって胸元を氷枕で冷やした。

7月17日(土)

夕方、夕焼けこやけが街にひびくころ、子どもが昼寝から目覚めた。寝室のドアの向こうからおかあさーんと呼ばれて気がついた。そばに寄るとぼんやり光る目がわたしを見上げていた。

ねむりの国にまだ脚だけ浸しているような子どもは唐突におばけのことを話しはじめて、どういう流れなのか「おかあさん、おばけになっちゃった」と言った。ちょっとギクッとした。
子どもにとっておばけとは、変わった動物とか、アニメのキャラクターのようなもので、怪異という感覚はないし、ましてや死んだ人間の幽霊をさすものではないっぽい。まだ。だから他意がないのはわかるのだが、わたしがおばけになる、と言われると子どもを残して死んだところをどうしても想像してしまう。人の親のやっかいな想像力である。
おどけておばけのまねをするなどにこやかに応対していたのだが、子どもはさらに「おばけになっても○○さん(子どもの名前)だっこできる?」「ぎゅーできる?」と言うので不安になった。
それ、あれじゃん。子どもをのこして死に、子どもへの未練から成仏できず霊となってさまようが、姿を見せることはできないし、子どもに触れることもかなわない。抱きしめようとしてすり抜けちゃうあれじゃん。ぎゃあ。むりむりむり。いや実際に死んだらたぶん無に帰すだけだしそんな心配いらないけどね?
言葉に詰まるわたしを見て不安になったのだろうか、ずっとにこにこしていた子どもの顔から表情が消えてしまった。あわててだっこしてごまかしたけれど、この子が死について思い当たるのはそう遠い日ではないのかもしれないと予感させるできごとだった。

7月18日(日)

朝なかなか起きられず、頭は冴えず、化粧の仕上がりは気に入らず、ず〜ず〜づくしで自分をちっとも良いものと思えない。今日はそういう日かあなるほどねと午前中のうちにあきらめてしまった。

日傘をさして仕事に行き、帰りには日傘をさすのもあきらめた。一日のおわりまで気持ちの重さはつきまとい、あしたもこれがつづくとすれば難儀だなあと思っている。

7月19日(月)

三つ編みをした。部分的にピンクに染めている髪がちらほらのぞいて素敵な三つ編みになった。大人の三つ編みもなかなか良いものだ。

昨日からのイケてない気分が継続しているので、自分を鼓舞するためにできるだけ髪や化粧をわたし好みに整えて仕事に出た。三つ編みもその一環である。三つ編みのおかげか仕事先でも人となめらかに話すことができた。それでも仕事が終わるとどっと疲れがおしよせてまたしても自分をしょーもないものとしか思えず、帰りにグリーン車に乗ることをよしとできなかった。混んだ普通車でじゅうぶんなんですよわたしなんてものは。

缶ビール片手にグリーン車に乗りこめば確実に気分がよくなるのにそれができないのはわたしはどうあっても落ち込んでいたいのだとおもう。わかったよ困った女だな、好きにしなよ、もう。

7月20日(火)

デッサン会に絵画モデル(同業者)を描きにいったらものすごくきれいな女の人で、肌も髪もつやつや光っていたから、人間って大人でも光ることあるんだ。ってびっくりした。ポーズにも研究の痕跡がうかがえるタイプの美しさがふんだんに宿っていて、あ、やばい。わたしも仕事がんばんなきゃ、とめずらしく殊勝な気持ちになった。性根入れかえてやんないと。

夜には鶏ささみときゅうりと春雨をレシピ通りに炒めた。味見をしたらまったくピンとこない味で、ああ、倍量で作ったのに…と頭を抱えた。よくわからない食べ物を大量に生み出してしまった。そのままフライパンに放置していたのだが、夫が食べたらしく「うまっ」と言うのがダイニングから聞こえてきて、ハァ〜? とおもった。うまいわけないわ、どうせパフォーマンスの「うまっ」でしょ。と微妙にイライラしながらもう一度食べてみた。

うまかった。どうも冷めたのがよかったらしい。家族3人でズビズビ食べまくり、深型フライパンいっぱいにあった炒め物はあっという間に吸い込まれてしまった。

味見って味ぜんぜんわからないこと多々あるね。


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