5年前日記③
もうすぐ子どもが5歳になる。
それで5年前の記憶がわたしのまわりをうろうろしている。
せっかくなので書きとめておこうと思う。
2018年1月31日(水)
朝、入院先で目覚めるのははじめてのことだ。出張先のビジホで目覚めるのと似ていると思った。産院の個室というものはほとんどビジホと同じ設備なのだ。ベッドがパラマウントであること以外、ほぼビジホ。わたしは早くもパラマウントベッドのとりこで、パーラーマーウーンン〜ト〜♪パラマウント〜♪と元気に歌いながら配膳された朝食めがけてパラマウントした。
臨月のわたしは昨日の朝に破水というのをして急きょ産院に入院したのだった。破水というのをすると、胎児がいる子宮が外界とつながってしまって、この状態が続くのは母子にとってアブナイことなのだそうだ。だからなるべく数日以内に赤ちゃんを外に出してやる必要がある。出産だ。でも困ったことに、医師がいうには、わたしのからだはちっとも産気づいていないのだった。
それで今日は、産気づいていないからだを産気づかせるためのさまざまな試みをしてもらうことになった。注射数本と、点滴の針を入れたのと、脊髄に麻酔のためのチューブ(使うかわかんないけど念のためだって)を挿入するときには本当にぶすりと音がした。たぶん採血もされたから、昨日までの人生でからだに刺された針の数と釣り合うくらい、今日一日で針を受け入れたことになると思う。おかげで医療機関で出会う針のことはもう一生怖がらないで済むだろう。自信がついた。
いよいよ痛みをめぐるツアーが始まったなという感じで、針なんかより痛かったのは普通に医師の手技だった。子宮からの赤ちゃんの出口をこじ開けようとするやつ。他にもいろいろ試されたが、それぞれにそれぞれの痛みが伴った。いやあ、いろんな技があるものだなあ。周産期医療はすごいなあ。と感心することで痛みから気を逸らしていた。
しかしいろいろしてもらったわりにわたしのからだはほとんど産気づかず、もう今日は無理じゃん?という雰囲気になって医師らと解散した。その後個室のベッドに戻ってから陣痛促進剤を少しためされて、陣痛の片鱗を感じたが、まあ、これで片鱗かーい!という痛さだったから、この先を思うと心が負けそうな夜である。
ところでこの間、モニターされているお腹の赤ちゃんはずっと元気でいるそうで、心づよいことこの上ない。
産院は夜の食事にビーフストロガノフを出してくれた。それにサラダ2種とスープとデザートも。どれをとっても、あ。お産がんばろ、とうっかり思ってしまうくらいには滋養を感じる美味であった。昨日からうすうす感じてはいたが、この産院のシェフって相当やばいのでは。
明日が来るのめちゃくちゃ怖いけど朝食は楽しみ。
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