20190510 読書感想文の肉詰め

『十二大戦』と『十二大戦対十二大戦』(西尾維新、集英社)を読んでいた。
楽しかった。次々出てくる濃いキャラクターたちと、綺羅星のような言葉遊び、どちらが勝つかの理屈づけ。西尾維新さんの小説はいつも本当に目で見ていて楽しい。個性的な登場人物たちが一冊の中で湯水の如く死ぬのでなんかもったいないことをしているような気持ちになりながら、そうやって豪勢に大盤振る舞いしていくからこそ気持ちがいいのかもしれないと思った。とくに十二戦士については一冊目であまり活躍できなかったキャラが二冊目で掘り下げられたりしててその辺嬉しかったりするのだが、そのため真ん中らへんの人たちがちょっと割をくっている(真ん中らへんの人たちはどちらも真ん中らへんである)。アニメ版とか短編とか読んだらもっと満足できるんだろうか。最終的に登場人物全体に愛着が沸いてしまった。特に丑とか蟹とか好き。とっても楽しかった。

noteでアウトプットをしようと決めたとき、一番やろうと思っていたのは読書感想文だった。
本買うの好き。楽しい。本読むのは面倒だけどもったいないし、なんだかんだ本一冊読み終わったら、内容が全く受け付けないものであっても絶対に満足するので、やれるかぎりはやっていくんだと思う。読んだ記憶は全て覚えていられるわけでなく、また、全く消えてなくなるわけでもないんだけれど、時間が経つと説明できないほどに忘れたり崩れていったりするのがもったいないなと思っていたし、逆に印象的な本の感想が頭の中をぐるぐる回り続けて途方に暮れるのもやめたいと思っていた。だから、読書感想を書けば何か変わるのではないかと思ってはじめた。

読書感想文を書くのも苦手だ。苦手を承知で、少しでも改善するために今、やっている。
学生時代の私の読書感想文はそれはそれはてきとーだった。
餡子もアイスも入っていない最中、肉のないピーマンの肉詰め、こう書いといたらとりあえず形になるだろうフォーマットにあらすじを代入し、それっぽい言葉(「私も○○のような生き方をしたいと思った」とかである)でまとめていた。
しょうがない。本を読みながらまともなことを考えてないんだから。
「えーこのキャラ好きー推せるー」とか考えてたり、「こういうこと言ってる人前いたな」とか思い出してたりと、『感想文に書けそうな高尚なこと』なんか何も考えていないんだから。論評系の本を「言ってること正しいんだと思うけど言い方ムカつくからもっとその辺考えて欲しい」とか考えながら読んだりもするんだから。
だいたい「楽しかった面白かった」で何が悪いんだ。楽しくなるために面白いものを求めて本を読んでるんだぞこっちは!

…と言い訳してしまうが、本当は人に自分の考えを聞かせる怖かっただけだ。今も普通に怖い。
とんちんかんな読み方をしてしまっている(ここまでで30分)そんな自分をお外に晒すのが怖いのである。
だから当たり障りのないことを言う。そうやって逃げて怠けて、当たり障りのあることを当たり障りのないように言う練習をしないから、何がどの程度当たり障りがあるのかをきちんと判断できず、当たり障りのある言葉が時折ごろりと出てきてしまって後悔するのだ。言ってて思ったけど、人生全般いつだってそうだったな…。なんかへこんでくるからこのへんでやめる。

いずれ、少しでも肉の詰まった感想を書けるようになるといいなあと思う。
だいたい本を読んで血肉にする(人生や表現に活かす)って、消化するってことだから、タンパク質をアミノ酸にするように「なんでこれ読んでそうなるんだ?」ってなっていくのが普通だよなとも思うし。

……そう思うと食べた結果の個人的な感想(「美味しかったよ。体重増えたよ」)と、思わず納得させられる素晴らしい考察や論評(食レポみたいな)って、結構重なり合うところがあっても焦点の当て方が違うのかも。今、書きながら思った。これ実は前者をごり押しするメンタルを磨くか、後者をできるようになる技術を磨くかって話なのか? あれ?


訳のわからん変な感想になったとしても体重増えたよ系感想文も電子の海に漂わせたりしたいし、かっこいい考察・論評文読んで「いいなー憧れるなー」みたいな気持ちも忘れずにいたい。あとお薬出しときますね系のパッション強め考察感想文も好きだ(こういうのは二つの中間になるんだろうか)。行き当たりばったりに書いていくうちに、自分の方向性も見えるようになることを期待する。


つまりは読書感想文て奥が深いんだなあと思いました。と、小学生並の感想(でも小学生ってもっとちゃんとしたこと言いそう)でこのとっちらかった話をまとめ、とりあえず読書感想についての本でも読んで勉強してくることにする。

あと30分では無理だ。事前に構成を考えるのも忘れた。弱音を吐いて終わる。


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