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渡部昇一流『四書五経』の解釈 301

😈  よき心がけ  (『論語』憲問第十四)

🌍  下学してして上達す。天を怨まず、人を尤(とが)めず。

「下学して上達す」とは、下のことまでよく勉強して、だんだん上達していくという意味。
それから「天を怨まず、人を尤めず」は、運命に対して天を怨まないし、人のせいにしない。
何かまずいことがあっても周りのせいにしない、ということ。

ともによき心がけと言えるだろう。



朝日の中の鴎

2024年6月23日(日曜日)雨22℃〜26℃

私が八島義郎に初めて出会ったのは二十二歳の時でした。
それは初めて社会人となって就職した会社を恋愛の失敗により辞めざるを得なくなった時でした。まさに、人生の岐路です。
しかし、運命とでもいうのでしょう、この時、私はまだ目覚めていませんでした。
ただ、若干22歳の娘に対しての態度が私には印象深く残りました。
そこの場所は確か軽食喫茶だったと記憶しています。その店に入る時、
私は一枚の折り紙が貼られていたのを見ました。
店に似合わないなと思い、同行の友人に「変わってるね」と声をかけましたが
関心がなさそうでした。
店に入り注文を取り、生理的作用で席を立って移動していると、
そこの店主らしき男の人に声をかけられました。「今日はすごい人がいらしてます」と言われてその方向を見やると、事業家らしき人物が座っていました。
その人物が私に何らかの作法を示しました。「こちらにいらっしゃいませんか」
というような風を感じさせたのです。が、私には連れがありましたので
軽い会釈をしてその場を離れました。そして、瞬間ではありましたが、彼の下で働いている従業員が幸せなのを感じました。以来、この短いやり取りは
私の人生途上で幾度となく思い起こされました。まさしく、
「袖触り合うも他生の縁」でした。
「凄い人」と聞かされて私の脳裏には貴族風な金持ちの紳士を想像しましたが、
紳士は紳士でしたが、儲かっていない風を感じました。しかし、従業員はさぞや幸せだろうと思いました。それほどに人格者を感じさせたのです。
また、私が初めて就職した印刷会社の名前が「ヤシマ写植印刷株式会社」でした。これもまた「合縁奇縁」を思わせるものです。
この別れの後、出会うのは二十八年後です。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊



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