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渡部昇一流『四書五経』の解釈 273

😈 万能を求めない (『論語』微子第十八)

🌍 備わらんことを一人に求ることなし。

全てができることを一人に求めることはしない、
という意味である。

人の能力というのは、すべてのことができるようにはできていない。
だから孔子も万能を人に求めなかったということなのである。



高みの見物

2024年5月26日(日曜日)晴れ10℃〜25℃

昨日は疲れがピークに来ていたのだろう思考が一時停止してしまったようだ。
一晩眠りそのピークは過ぎたようだが完全復帰とまではいかないようだ。
何事も一気に解決することは難しいことなのだろう。だから、
静養や入院生活を余儀なくされるのだと思う。
静養ならまだマシだが入院となるとまた情況が変わります。
どうやら人間はわがままにできているらしい。が、そのわがままさえ困難な人は存在します。
こういう人に出会いますと誠に運命というものは非情だと思います。
けれどもこれは私が考えることであって、当の本人にはまた別の思いがあるものです。これが環境の違いの成果なのだろうかと思います。
故に、人同士が融合し合うのは同じ環境で育った者同士という気がします。
とはいえ、それは完全ではありません。双子さえ融合するのは難しいものです。
ただ理解し合えるという点では一致できると思われます。
私はその「理解し合える」という点でも難しいものがありましたが、
それを救ったのは「愛」ではなかったかと思います。
「愛するが故に許せる」というものですね。でも、この「愛」は相手には望めません。相思相愛という関係はいいことではありますが、稀有な気が致します。
渥美清氏扮する「男はつらいよ」の車寅次郎はまさしくこれを演じていました。
もし、渥美清氏がこの世を去ることがなければ、車寅次郎は永遠に生き続けたかもしれませんね。「男はつらいよ」シリーズはまだ続いていたかもしれません。
馬鹿にもなれず賢くにもなれず、という人間は存在せず、
その代理人が「神」なのかもしれません。
「神」の中に人間の理想は存在するのです。
だから、「神を信じる」人は救われるのかもしれません。
私には「信仰心」はありませんが、自然に対する「脅威」を持っています。
これは「信仰心」の重みと何等変わるところはありません。そう自負しています。だからと言って「宗教」を否定するものではありません。
「宗教団体」、特に教祖になる人の思想ですね。
この思想が私と一致するものだけを信じます。
世界的には釈迦やキリストということになります。ただし、信者さまは違います。同じ仲間としての「愛」はありますが、融合することはできません。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます☺️



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