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渡部昇一流『四書五経』の解釈 229

😈 志の立て方  (『論語』為政第二)

🌏 十有五にして学に志す

「十有五」というのは現代なら高校生ぐらいの年齢だが、
この時期がとても重要だと私は思う。
高校までは自分の志をいくら変えたとしてもかまわない。
例えば、野球選手になろうかと思ったけれど、
先生が英語を誉めてくれたから英語を勉強してみようというように。

ところが大学に入り、あるいは就職をするようになると、
そう簡単に自分の道を変えられなくなるのである。

十有五にして志を立てるときは、目の前に本当にたくさんのチャンスがあるし、機会が自由に選択できる。
しかし、そこで選択を誤って次の段階に進んでしまうと、なかなか思うように動けなくなってしまう。

この言葉はそれを教えている。これは特に高校生に教えたい教訓である。


【2024年4月12日(金曜日)晴れ8℃〜23℃】

人の道と成功の道は違います。
人道とは多くの人が通る道であり、躾に等しいものです。
ですから厳しい家庭にあっては3歳頃から行われています。
が、しかし、仏教やキリスト教並びに四書五経なるものを教えているところは
信者さまでなければその教育はないでしょう。
私も孔子という名を聞いたのは随分大きくなった頃です。
が、『論語』などはもっと後のことですね。高校の漢文だったと思います。
哲学などもそうですね。「倫理社会」という教科書で知りました。
今思いますともっと早いうちから学んでいるべきものだったと思います。
しかし、こうしたものを解釈文として著すのは非常に難しいと思います。
そこへいくと渡部昇一先生の解釈はわかりやすくて私は好きです。
この頃は道徳という言葉を毛嫌いする人があるせいか、
こうしたことは「目的達成論」のような著書に紹介されていることが多いですね。
でも、目的を達成することと道徳論とは別物だと私は思います。
目的を達成することは欲求です。つまりアクセルです。
が、道徳は欲求を抑えることです。つまりブレーキです。
アクセルとブレーキを同時に踏むことはできません。
宗教は何のために存在するのか?私は犯罪をなくすことだと思います。
が、現代の宗教はそうではありません。教祖が欲求を満たす場所になっています。
とくに新興宗教はそれが多いです。
まあ、キリスト教も仏教も儒教もそうした道を潜ってはきていますが・・・・・
至誠・至純の心を人はどこまで育てられるでしょうね。
では、今日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😄

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