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鹿児島

鹿児島へ3日ほど出かけていました。
写真は、飛行機の中から撮った写真
見るからにお天気が悪そうなのですが、
そんな中で、何か神々しさを感じる高千穂の峰です。

さてさて、
あいにくの雨でしたが、
志布志の埋蔵文化センターと
都城の島津邸に連れて行ってもらい、大満足な初日。

大満足ながら、
思いがけず、丸十の謎を紐解くのではなく、
さらに、深みにはまってきました。笑


島津の家紋

島津さんの家紋ですが、ただの丸十ではなくて
真ん中の十字が外円にくっついているのか
そうでないのか、で家系は変わり、
その上、丸十から変遷した家紋が、こんなにたくさんあるのですねぇ。

驚きました。


都城 島津さん

島津さんも薩摩の一系統ではなく、
有名な篤姫関連の薩摩島津は
この都城島津から出たんだとか。
元は宮崎、都城から始まったと聞いて、
天孫降臨、日本の歴史の始まりを告げる宮崎ですから、
なるほど、島津もそこからカァと思いきや、


資料館にあった年表

元々は都城県だったんだと。
明治6年 1973年に宮崎県ができたんですね。

日向 大隈 鹿児島

1876年8月21日 - 宮崎県が鹿児島県に合併され、宮崎支庁が置かれる。
1877年 - 西南戦争により当時鹿児島県であった宮崎県域も戦場となり荒廃する。
戦後、鹿児島県が薩摩大隅地域の復興を優先し日向地域(宮崎県域)の復興を蔑ろにした為、日向国民(宮崎県民)の鹿児島県に対する不信・反感が勃発し、宮崎県再置(分県運動)の一因となった。

1883年5月 分県運動の結果、日向国のうち志布志郷・松山郷・大崎郷[注釈 1] を除いた地域をもって、国より再置県が認められ分県が成立した(宮崎県再置[6]

wikipedia

えっ
宮崎、鹿児島に合併されていた時期があったんだ!!!

今、自分が持っている思考で、
今、自分が持っている情報で、
モノゴト見ていたら、わからないことがいっぱいです。

なんとなく、
宮崎と鹿児島の境目でいろんなことが生まれてきているような気がしていましたが、宮崎と鹿児島という別枠で考えていたことで、見えない緞帳が下ろされていて
「丸十」のこともよくわからなくなっていました。

自分の足で歩いて
自分の耳で聞いて
自分の目で見て
自分の口で話して

自分の頭で考えて、



あーあ なるほどっていう場所に向かっています。

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