哲学の境界──あるいは個の揺らぎについて

 何が哲学的で何が哲学的でないかという問いは、ある意味ではすでにそれ自体哲学的だといえるが、この問いに対して私は今までのnoteで断片的に、かつ異なる文脈から自分なりの回答を書いてきた。直近だと生活と哲学に関するあれこれや、哲学対話について書いたものなどが挙げられる。これらのnoteには当然大小の文脈の差異があるが、大枠として比較的広い意味で取った時の哲学についてのものであるということは共通している。だが、今回は少し趣向を変えて、自分がこれから哲学の論文を書くにあたって考えているいくつかの問題について書いていこうと思う。もちろん、こんなしょうもないことを考えている暇があったら大人しくテクストと向き合え、と言われるような内容もあるだろう。しかし、あえて大きな問いを言語化するということはそれほど無意味ではないはずなので、いざ。

個人という境界

 最初にあげるのは「哲学史との付き合い方」である。冒頭の「何が哲学的で何が哲学的でないか」という問いを考える時によく挙げられるのが「哲学と哲学史の違い」である。ただ、この問題はあまりにも大きな問いなので、もう少し私が最近考えていることに密着させていうと、誰々の哲学という仕方で取り出される哲学史は哲学史の最善の形式なのだろうか、ということになる。

 疑問の所在を明らかにするために、若干の下準備をしよう(しばらく割と当たり前のことを言うつもりなので、興味がない方はフィヒテ、偽ディオニュシオス、ドゥルーズ=ガタリを話題にしたあたりまで流し読みしていただきたい)。哲学史を少しかじれば明らかなように、実存主義には誰それがいて、現象学者としては誰それがいる、というような高校倫理でも行われる素朴な見方は、まあ便宜上そうなっているけどそれぞれの哲学者の考えた内容は全然違う、ということがかなりの頻度で起こる。このようなことがもしかすると同じ人物の違う時期に書かれたものに対しても言えるのでは?というのが先述の疑問の一つ目の側面だ。

 また、これも少し哲学史をかじれば明らかなように、いわゆる分析哲学と呼ばれる分野の概説書を開いてみると、初期こそフレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン…のように人名ベースで紹介が進んでいくが、現代に近づくにつれて「〇〇主義」や「〇〇説」というように、人名ではなく問題ベースで紹介されていることがわかる。同じようなことがこれまで人名ベースで考えられてきた哲学史でも可能なのではないか、ということが疑問の二つ目の側面だ。

 これらの疑問のうち、私にとって比較的簡単に応答できるのは後者の問題ベース云々という疑問の方である(もっとも、この疑問は前者の問いに応答しようとしたら形を変えて姿を見せるのであるが)。私が思うに、問題ベースで行われる哲学は、最初に哲学史を学ぶ際に取るべき方法ではないので目立たないというだけで、それ自体は十分に可能だし、実際そういう見方をしている人はたくさんいるはずだ。こう考える理由としては次のようなものが挙げられる。まず、そもそも前者の疑問の中で言った実存主義、現象学…という括り自体、問題ベースでのまとまりである。また、哲学史に限らず、歴史を見る時には縦糸と横糸を用意するとわかりやすいのは当然のことである。時代の変遷(縦)と地域別(横)で見る、という具合に。これらのことから、問題ベースで見る哲学史もまた十分に可能だということが言えるだろう。

 続いて前者の疑問、「同じ人物でも違う時期に書かれたものの思想内容は時に大きく異なっているのでは?」という疑問について考えよう。実は、この疑問は先ほど考えた問題ベースに関する疑問が後ろに隠れている。すなわち、より正確に言えば「同じ人物でも違う時期に書かれたものの思想内容は時に大きく異なっている以上、問題ベースで哲学史を学ぶ方がより良いのではないか」という疑問になるのだ。このような形で疑問を定式化したので、次はこの疑問の中身を明らかにしていく。同じ人物でも違う時期に書かれたものが本当に大きく異なっているのか、ということをまず考えよう。これは本来、外延的に個別の哲学者について一つ一つ考えなければならないタイプのものだろうけれども、一般論として「大きく異なっている」ということを言える人は多い。しかし、だからと言って直ちに問題ベースで哲学史を学ぶことの方が人名ベースより優れている、ということにはならない。というのも、人名ベース、すなわち一人ひとりに着目して著作を追うと、どうしたってその人固有の何かが垣間見えてくるからだ。固有の何かが固有の哲学になることで哲学史に新たなページが加わる。このような見方をした時には問題ベース的な見方は後手に回らざるをえない。とはいえ、結局のところは先述したように人名問題どちらの見方もできる柔軟な哲学史理解を身につけるべし、という穏当な地点に落ち着く。

 さて、長い下準備が終わった。平凡な理解を共有するために少し足場を整備した。以上のことを踏まえつつ、「個人の境界が曖昧になっている」いくつかの例を通して、「誰々の哲学」という考え方が揺さぶられるかどうかを見ていく。

 最初の例はフィヒテである。フィヒテが哲学の表舞台に上がるきっかけとなった著作は『あらゆる啓示批判の試み』であるが、この著作は1792年に匿名で出版された。察しの良い方はすでに私が何を言いたいか気付いたと思うが、この著作は時期的にカントが三批判書を出版してその名声が高まりつつあった頃に出版されている。また、この時カントは宗教論に関する著作を出版していなかったため、匿名出版であるということが奏功して、界隈ではこの「フィヒテ」の著作が「カント」のものとして誤認されたのである。それほどフィヒテがカント哲学に熱中していたのだとか、この両者を取り違えるなど当時の界隈は実に不見識だとか、色々な方向から色々なことが言える出来事だが、このnoteの文脈では当然、個人の境界が曖昧になっていることの好例として機能していると言うに留めておく。

 次に挙げるのはディオニュシオス文書である。ディオニュシオス文書の著者は一般に偽ディオニュシオスと呼ばれる。なぜこの人物が「偽」と言われるかと言うと、このディオニュシオスとはパウロの直弟子枠に当たるディオニュシオス・アレオパギテースのことをさしているのだが、実際にはこの著作群は五世紀末から六世紀初頭にかけて活動を行った修道士がその名を借りて書いたものであることが判明しているからだ。ただし、ここからが重要なのだが、この著作群が実際にディオニュシオスが書いたのではないということが判明したのは19世紀末以降の文献学的研究によってであり、それ以前、特に中世哲学においては聖書に次ぐ権威を有する著作群として多大な影響をもたらした。この場合、「ディオニュシオス」という個人には複数の意味が付与されることになる。これも個人の境界が曖昧になっていることの一つのパターンだと言えるだろう。

 最後に挙げる例は「ドゥルーズ=ガタリ」である。著者名にドゥルーズ=ガタリという名が冠された書物はいくつかあるが、その特異な執筆スタイルは現在でも研究対象になるほどで、ドゥルーズとガタリという両者がどのように交わりつつ書物が出来上がったのかは興味深い問題であり続けている。しかし、ここではそのような議論には立ち入らず、ドゥルーズとガタリを分離するのではなく、そもそも両者は分離できるのか、もしできるならどのような仕方で分離するのか、ということを疑問として挙げるに留めておく。

 以上3つの例を挙げたが、繰り返すように、これらは個人の境界が曖昧になっている哲学史上の例である。そして、ここまで見てくると、一つのことに気づくことができる。それは誰々の哲学の「誰々」、人名ベースというときの「人名」は見かけより複雑な問題を内包していることがわかる、ということである。フィヒテの例が明らかにしているように、それは匿名、隠されうるものであるし、ディオニュシオスの例が明らかにしているように、それは偽って使用されるものである。また、ドゥルーズ=ガタリはドゥルーズ+ガタリでは断じてない。このような諸相を無視してナイーブに人名と著作、哲学を結びつけることは時として問題の所在を見逃すことになる。ある意味で、名は建前に過ぎない。

 余談だが、この辺りの問題は(西洋)哲学から離れるとさらにいろいろいうことができる。中国に目を向ければほぼ全ての古典の著者は複数人の集団であるとされるし、もっと卑近なところで言うとペンネームと本名、芸名と本名の使い分けのような話にも繋げようと思えば繋げられる。そんなことはしないが。むしろ、私にとっては毎日決まった時間に散歩するカントと純粋理性批判を書いたカントは同じカントか、同じ名は与えられているがそれを同じ人間として捉える必要性はあるか、などの問題の方が興味深い。この地点からは再度「生活と哲学」と言う問題が発生する。

 ともかく、ここまで見てきたように、冒頭の問い「誰々の哲学という仕方で取り出される哲学史は哲学史の最善の形式なのだろうか」という問いからはさまざまな付随する疑問があることがわかった。ひとまず言えるのは、問題ベースの見方も積極的に取り入れつつ、しかも人名を平板なものとして捉えない、という態度をとろうということである。また、このような仕方で取り出されたいくつもの哲学史的問いにより深い考察を加えていくことは、それ自体として十分哲学的な営みであると言えるだろう。個人という境界は絶対的なものではないが、それを自覚しつつ学び、研究する哲学史は決して哲学の外にあるものではない、というのが現状の私の哲学史の見方であり、付き合い方である。

草稿という境界

 ずいぶん長引いてしまったが次の問題に移ろう。一般に、現代に近づけば近づくほど哲学者の草稿、日記、手紙といった資料が遺族らを中心に保管されており、それらがまとめられて全集の一部や単行本として出版される傾向にある。すると、哲学者によっては数千、数万の膨大な書簡のやり取りや、一見全く哲学に関係ないかのように見える日記なども研究対象として射程圏内に入ってくる場合がある。私がこのような場合に抱く疑問は「膨大な(非公式的)文献を読んで議論を構築することは哲学的か」という疑問である。

 このことを考えるにあたり、具体例としてウィトゲンシュタインとハイデガーという20世紀を代表する人物を二人取り上げよう。まずはウィトゲンシュタインからである。ウィトゲンシュタインが生前に刊行した哲学書は論理哲学論考ただ一冊のみである。後期の主著とされることの多い哲学探究はウィトゲンシュタインの生前に完成こそしていたものの、実際に出版されたのは彼の没後二年経ってのことであった。問題はここからである。ウィトゲンシュタインは膨大な量の手書き、タイプスクリプトの遺稿、そして弟子筋の人物が記録していた講義録が残っており、それらを合わせると論理哲学論考単体の数十倍、下手をすると(きちんと把握していないのでなんとも言えないが)百倍以上に及ぶ分量になる。そうすると、当然(?)次のような疑問が発生する。それは「それらの非公式な記録と刊行された著作(あるいは記録同士)を行き来するだけで良いのか」という疑問である。

 これは先ほどの人名/問題という対立とも関わってくるのだが、ひとまず素朴に私がこの疑問を感じたきっかけから話を進める。あるときウィトゲンシュタインとニーチェの連関を明らかにするという面白そうな論文を見つけて、なんとなく読み進めていたのだが、ウィトゲンシュタインの思想を論じる際に「論考のこの命題とこの命題は一見すると離れていてなんの関連もないように見えるけれども、実はこの草稿段階では同じくらいのところにあったから、ウィトゲンシュタインの中では明確に関連があったんだ」というような書き方で進んでいくことが多かった。当然このような丁寧な読解は大事なのだろうが、それだけで満足していて良いものなのだろうか、というのが私がこのとき思ったことだ。あえて極論を言えば、そのような仕方での比較をして共通点や相違点を言うだけならchatGPTにもできる。むしろそこから何を言うかということが真に哲学的といえるのではないかと思うのだ。また、これがなぜ人名/問題の対立に関わるかというと、このように草稿を見ることは確かにウィトゲンシュタインの内部での思想の動きを見るには良いやり方かもしれないが、それはウィトゲンシュタイン哲学という枠組みから離れて何かを論じることからは離れていかないかと思うからだ。人名はいわばタコツボ化、あるいはよりウィトゲンシュタインに即していうならば、ハエ取り壺にハマっていく原因となるのではないかと思っている。先ほどのところでは主題的に扱ってはいなかったが、このような疑問も人名/問題の話には付随してくるので、なかなか難しいところだ。

 もう一人の例としてあげるのはハイデガーである。ハイデガーは哲学史上全体を見てもかなりの分量の著作、遺稿がある人物で、百巻以上に及ぶ全集が現在も刊行中である。そんなハイデガーの遺稿の中でもとりわけ有名で、今回取り上げるのが「黒ノート」である。このノートにはいわゆる反ユダヤ主義的言説が散見されるとされ、かねてよりナチとの関わり等で問題に上がることの多かったハイデガーという人物がさらに問題含みの人物である(かも)ということを明らかにしたものである。ここからはウィトゲンシュタインの例では上がることのなかった「手稿の政治性」の問題が上がってくる。すなわち、publicなものであるpublication、出版物に対して、privateなはずであった手稿、草稿を同じ俎上に載せて議論することは哲学的かと言う問いが立ち上がってくる。

 これはこのnoteの枠組みの中だけできちんと論じることは到底できない問いであるが、しかし暫定的に、資料として残っている以上、手稿、草稿を全く無視すると言う態度は歓迎されておらず、公と私(とあえて言い切る)、著作と草稿を行ったり来たりすることの重要性は明らかであると言える。(ただし、先ほどの人名のくだりで書いたように、その草稿をかいた人物と著作をかいた人物がどの程度同一人物であるか、などと言い出すとこの重要性はかならずしも自明なものではなくなってくるかもしれない)。とはいえ、私が今後論文を書く上では、まずは基本的なある程度評価の定まった著作に対してしっかりと向き合おうと思う。その上で草稿の海に分け入る、というのが私の進むルートになるような気がしている。

まとめ

 ひとまずここまでにしておこう。ダラダラ書いていたら6000文字を超えてしまった。noteにしては分量が多い気がしないでもないが、まあヨシとする。

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