生活と哲学

 生活と哲学という陳腐な二項対立をしばらく維持していた。偉大なデカルト先生やカント先生は哲学者であるより前に偉大な生活者であったとか、西田、田辺、三木といった京都学派の人々も一個の生活者であり、その点を無視しては真に哲学者としての彼らを見つめたことにはならないだろう、とか。少し前まではそんなふうに、いわば生活≧哲学のようなイメージが私の中で支配的だった(ここが>ではなく≧なのは割と重要な感覚かも?知らんけど)。後者の京都学派に関しては、このnote以外の場所で文章にまとめたくらいには支配的だった。

 この見方を改めようと思った最初のきっかけはそれこそ田辺元の哲学を調べていたときだったように思う。第二次世界大戦前後を契機として種の哲学→懺悔道の哲学→死の哲学と変容していく哲学の中で、懺悔道の哲学は一際異様なものに思えた。その思想内容の中心のようなものが地肌のまま露出していて、本人が言うように一種の「哲学ならざる哲学」であるように感じた(もっとも、ここで私が思ったこの言葉と田辺のオリジナルな文脈におけるそれはそれなりに乖離があるはずだが面倒なので立ち入らない)。ただ、そこに何か違和感のようなものもあった。何が彼をこのような哲学に向かわせたのか、思索の変化はどこで起こったのか。そこが疑問だった。

 この問いに対してある人は「大戦の中で教え子が実際に戦地へ赴く様を見て、田辺は自身の哲学の反省を迫られたのでは」といっていた。私もなんとなくそのように感じたのだが、これは実につまらない考え方だと感じる。本当にそうだとするのならば、田辺も大したことがない、そんなことを思ってしまう。無論、大戦下という非常事態における彼の生活と今の私の穏やかな生活とは同じ生活という言葉で表すにはこれまた大きな乖離があるが、ともかくも「哲学が生活によって規定されている」ということができる。哲学とはそんなにやわなものじゃないだろう、哲学をやっているのならば生活という現実を超越しつつも生活を肯定するものを生み出すべきだろう。私がこの時覚えた違和感はこのようなものだ。田辺のそれはむしろ逆なように思えてならない。すなわち、戦前には種の論理を援用し、死によって生を超克し、国家の永遠の建設に参与すべしと語っておきながら、いざ実際に死に向かう教え子を前にして自らの来し方を反省し新たな哲学を組み立てる。全くもってナンセンス。自分の構築した哲学で今まさに悲劇が起きている。そんなことも想像できないまま現実から遊離した机上の遊戯に耽っていたのだろうか。そんなことをしているからあの頃の誰かの生活が破壊されていったのではないか。生活に依存したままではろくな哲学が構築できない。このとき、生活と哲学という両者はときにはキッパリと分離すべきだというふうに思った。

 また、こんなこともあった。つい最近邦訳が刊行された本で、実存主義者やその同時代人たちの伝記にスポットを当てて一つのストーリーを形成しようとしている本を読んだとき、やはり生活に注目しすぎるのも考えものだなあというふうに思った。どういうことか。例えば、ハイデガーの思想的な部分を否定するときにも肯定するときにも「ドイツの森の中の田舎ふうの思想」と書かれていたりする。当然、これは思想の批判にも肯定にもなっていない。ただ単に生活上の事実と思想をイメージで強引に接続しているだけだ。このようなやり方をしていては、たまたまそのイメージが哲学者の理解を助けることはあっても、それ以上のものはもたらさない。やはり、思想は思想として、生活は生活として捉えようと思った。

 いつものように、なんとなく考えていたことをなんとなく書いてみた。最近新しくパソコンを買ったので、このnoteもパソコンで書いている。手書きのnoteとかあったらもっと面白いかもなとかちょっとだけ思った。特にオチは、ない。 



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