居酒屋

 つい先日、それなりに有名な方とお話することができた。あまり書くと個人が特定されるので控えめにしておくが、大型書店で平積みがされているような方である。エッセイや小説など、多様なジャンルで活躍されている。私はその方に、自分もエッセイ?というかなんかよくわけのわからんもの(このnoteもそのひとつ)を書いているのだが、いまいちうまく書けない。どうしたらいいですか、そしてあなたは書く時に何を意識されていますか、という、とても大雑把な質問をなげかけた。すると、おおむね次のような答えが返ってきた。まず、私は何をどう書くかの「どう」の部分は意識したことがない。「何」の部分に関しては簡単で、これを居酒屋で話したら面白いだろうなあ、という「ネタ」のようなものを日頃からストックしておくらしい。……なんだ、それだけかと思った。もしかすると、私の質問内容が漠然としていたりなんだりで、芯を食った回答を引き出せなかったのかもしれない。が、それにしてもなんというか、(その人の作品スタイルからすると)予想以上に予想通りな答えなんだよなぁ。そういう居酒屋トーク的なネタが自然とあふれてくるに任せて書くのだとかなんとか。これが、これこそがエッセイか、というような気もする。想ヒニ随フ、随想。うーむ。


 少し話が逸れるので区切り線を打った。時間もだいぶたった。多分、区切り線の前は2週間くらい前に書いてるだろうか。

 居酒屋トーク的というのは私にとって面白い表現だった。私は(も?)時々居酒屋なるものについてしばしば思いを巡らしているからだ。もちろん大学生になってからはその「中」に行くことが増えたが、それもまだ2年そこいら、それ以前はもっぱら「外」から眺めるものだった。塾の帰り道に見た楽しそうに飲む大人たち、朝学校に行く時に見た誰かが楽しみすぎた跡(察してください)、それが私にとっての居酒屋の象徴だった。それはどこか郷愁のようなものすら感じさせる。私が眺めていた居酒屋にいた人たちは、それぞれにそれぞれのそれぞれがあった/あるに違いないが、間違いなく場を、時を共有し、紛れもなく生きていた。それこそが生だった(あるいは単に「生」ビールだったかもしれない)。

……また話が逸れた。ともかく、居酒屋という場所が私は好きだ。居酒屋でのんびり喋れば初対面の人でもたいてい、何とかなるものだ。そこで喋ったことというのはたまに猛烈に記憶に残ったりする。それが居酒屋トークの本質なのだろう。この前もたまたま初対面の人と居酒屋で2時間ほど話したが、その時に「おぉ〜リアリストだねぇ」と言われた。私は自分をリアリストと思ったことは無かった。恐らくその時は、将来困らないように、親を心配させないように、とりあえず教職を取っておこうと思っているというような話をしたと記憶しているが、なるほど、リアリストか、と。そしてそういう彼は周りを割と俯瞰で見ているにも関わらず、自分のこととなると一直線という感じで、それも私には印象に残った。

 居酒屋トークについてはもう少しどこかで書くかもしれないし、書かないかもしれない。それより、今ここまで書いていて思ったことを最後に少しだけ。こんなことは書いてみなければすぐに自分すらも忘れるシロモノだろう。居酒屋は埋没する。都市の中に、日々の中に。そこに少しだけとどまってみることから何かが見えてくるのかもしれない。


 前に町中華に関する変なnoteを書いたが、どうやら私はご飯を食べる場所が好きらしい。日々の余白、都市の隙間……なんでも良いけど、そういう感じ。

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