取り残した自分をつれていく

20歳のときに左耳が聞こえなくなった時のことを鮮明に覚えている。

いろいろなことで疲れ果てていて、昼寝から起きたら急に耳鳴りと共に聴力が落ちた。

突発性難聴だろう、と大学の医務室で言われ、すぐに耳鼻科に駆け込むも、医者の判断ミスにより処置が遅れ、もう西洋医学では治らない、と言われるまでになってしまった。

一人暮らしだ。東京に頼れる人はいない。

外の顔と内の顔の使い分けが難しい。

突発性難聴は原因不明、ストレスが一因だという、ストレスの大元がわかっていても、耳は治らない。


誰も、助けない。

わたしのことなど誰も救わない。


そう思って生きていたんだろうと思う。

耳が聞こえなくなる前後の日々の記憶がない。

多分苦しすぎて記憶から消したんだと思う。

友人と旅行に行ったときのことも、

かなり忘れていて写真で補完したことがあって、


ああ、わたしは忘れたいんだな


と思った覚えがある。


エンパスであって、

HSPでもあるわたしは、

自分がそうである、と気づくまでとても生きづらい人生を歩んでいたのに、

その事実に気づくことさえなかった。


あれから何年も経ち、

いろいろな出会いによって少しずつ世界を祝福できるようになってきたけれど、

近頃、この時のわたしが顔を出す。


おまえだけしあわせになるな


そう、あの頃のわたしは世界を呪っていた


誰もわたしを助けない

誰もわたしを救わない


世界でわたしはひとりだ


さまざまな世界と繋がり、

過去の自分を救うことができるようになったけれど、

あの頃のわたしにはアクセスできなかった。


ようやくだ。

思い出せ

わたしがいることを。


時に世界はあなたの足をひっぱる。

わたしを置いてそっちに行くな、と

過去の自分が言う。


その「わたし」と対峙する。

その「わたし」も連れて自由になるのだ。


思い出せ、思い出せ、という自分との対話。

捨てるのでも、見捨てるのでもなく、

すべてを引き連れて向かうのだ。


もうすぐ、あの頃のわたしをすくいあげる。

過去の自分を引き上げられるのは、

今のおのれだけである。

忘れるな。忘れるのではない。

すべてをもって次に向かうのだ。


#つぶやき #そらのこえ

#内とのつながり #わたしとの対話



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