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【長編小説】ダウングレード #26

 三十分ほどして西川が部屋に入ってきた。西川はまばたきを二回しただけで何も言わなかったが、耀はどんな顔をして西川を見ていいのか分からなかった。西川と前田に挟まれるようにシェルターの敷地を出て、西川の乗ってきた車に乗せられた。これから庁舎へ行き、すぐに菅原と面談をするという。まるで犯罪者扱いだ。耀ひとりで庁舎へ行く自由も与えられないのか。
 西川が運転しながら耀の様子をうかがっているのが分かったが、何を話せばいいのかも分からず、耀は窓の外を流れる景色を眺めながら黙っていた。
「安慶名くん、とりあえず菅原さんには謝っておいた方がいいよ。口答えしないで、先に謝るんだ。菅原さん怒らせたらほんとまずいから」
 西川の口調から、善悪の判断とは別の単なる対処を勧めているのだと分かる。だがその「とりあえず謝れ」という言葉には納得できなかった。迷惑をかけたのは分かっている。けれどざっくりと謝るという気持ちにはなれない。結局返事をするタイミングを失って、耀は西川の言葉を無視することになった。
 渋滞を抜けて庁舎に着くまで小一時間かかった。地下駐車場に車を停めると、西川は耀にぴったりと沿うように誘導した。
 西川に誘導されて着いたのは菅原のデスクがある階の応接室だった。応接室。いつも打ち合わせなら調査資料室を使う。部外者になる人間だからということだろうか。ノックをして耀が中に入ると、西川は入ってこずにドアを閉めた。
 応接室の窓際に菅原が立って窓の外を見ている。耀が入ってきたことは分かっているはずなのに菅原はこちらを見ない。
「お話はどういった件でしょうか」
 耀は不躾にならない程度に努めて冷静に尋ねた。
 菅原は振り返ると、表情の読めない目をして耀を見た。目はやや充血していて疲れているのが分かる。手を伸ばして耀にソファに座るよう促し、自分も向かい側に座った。
「西川君に伝えさせたつもりだったんだが、彼が伝え忘れたのかな。家で謹慎するようにって」
「いえ、西川さんからは聞いてます」
 菅原は数秒間耀を見つめた。
「君が言うとおりにしない可能性を排除したのは私のミスだ」
「どんな処分を受けるんですか?」
 菅原は返事をせず、視線をテーブルの表面に落とした。無言で圧力をかけているのか。菅原が何を考えているのかまったく分からない。
 耀は職探しをしている自分を想像して気が重くなった。普通は在職中に次の職を探す。先に辞めるのは何か理由があると疑われる。だが今さら後悔しても仕方ない。和佳がもう死のうなどと考えなくてよい状態にあると確認できれば、それで良しと考えるべきだ。
「奥原和佳さんに会わせて下さい」
「それはまだできない」
「どうしてですか? いつならいいんですか?」
 菅原はまた黙り込んだ。
「クビにするならさっさと宣告して下さい。ここと関係なくなれば、俺は指示待ちする必要なくなりますよね?」
 自分はこんなに短気だったろうかと耀は思った。以前なら、感情を表には出さず抑えることができた。少なくとも抑えることができると思っていた。
 菅原はスマホの画面に視線をやると、タップしてスマホに向かってしゃべり出した。
「十階の応接室Dだ。直接上がってきてくれ」
 録音した音声ファイルを送信した。菅原はイラついたようにソファの肘掛けに置いた手の指をトントンと小刻みに動かしている。窓の外に目をやった後、耀に視線を戻した。
「君の処遇はこれから検討される。決まったら知らせる」
 数分後にドアがノックされ、開いた。入ってきたのは喫茶オレンジの店長だった。いつも通りのラガーシャツにチノパン、緑色のサングラスをかけている。歩いてきたのか、ラガーシャツの上にダウンを羽織っている。
「よお、久しぶり」
 苦笑いに見える顔を向けたのは、菅原に対してだった。
「急に悪い。本当ならもう少し日程に余裕があるはずだったんだが」
 菅原はそう言いながら耀の方をちらりと見た。
「アゲちゃん、やらかしたらしいじゃん」
 店長は耀の隣にどっかと座って、耀の腕を小突いた。
「店長、何でここに……?」
 菅原が店長を見たが、その視線を迎え撃つように店長は黙ってソファの背に身体を預けた。
「自己紹介くらい自分でしろ」
「スガちゃんのたっての願いで馳せ参じたのに、紹介もしてくれないんだ?」
 菅原は店長に冷たい一瞥を投げると、耀に視線を移した。
「彼は、中村義晴。以前はここの職員として働いていた。私と同期入庁だ。どうやら君たちは知り合いだったようだから今の職業は知ってると思うが、喫茶店を経営している。今日から十日間、君を彼に預ける。監視役として西川くんも同行させる」
「預けるって……」
「彼は君と同じ力がある。つまり水を操れる。十日間彼のもとで、水を使う力を自分できちんとコントロールできるように指導を受けて欲しい」
 菅原は店長を見据えた。
「今はもう、制御できているんだろう?」
「当然」
 店長は立ち上がると、耀に目で一緒に来るよう促した。
「じゃあ、条件はさっき話した通りな。監視役の奴は車付きだろうな?」
「手配してる」
「オッケー。じゃあ行こうか。話は終わりだ」
 店長はさっさと応接室を出ていく。耀は菅原の顔を見たが、菅原は詳細を説明する気はないらしい。耀は立ち上がると、菅原に頭を下げて店長を追った。店長は鼻歌を歌いながら大股で歩いていく。エレベーターの前に西川が立っていて、二人を見ると下行きのボタンを押した。



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