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アラサー独身男性、遺影について考える

アラサー男性、遺影について思考を巡らせる

仲の良い先輩が、
ツイッターで遺影を話題にしていたのを見たのがことの始まり。

僕自身はまだ死ぬ気なんてさらさらないけれど。
遅かれ早かれ人は死ぬものであるという普遍的な事実を、
僕は現実の出来事と数多くの創作から学んできた

終活には早いかもしれない。
けれども、何事も早いに越したことはない。

数分だけ、頭の中で思考を巡らせてみた。

ワイぼっち、写真がない

「君が写っている写真を使えばいいじゃないか」
と言われるかもしれないけれど。この話でそれで解決はしない。

自撮りなんてほとんどしないし、撮り方も下手。
しっかりと僕の写真が写っているものと言えば。
今のところ、高校の卒業アルバムしか思いつかない

友達がいないわけではないけれど、誰かに撮ってもらうということもほぼない。陰キャあるある、スマホの写真フォルダは風景ばかりなのだ。

このまま行くと僕の遺影は、
アニメ『推しの子』1話で描かれた雨宮先生のダブルピースより酷いなにかになってしまう。オーバーキルもいいところ。

重大な事実に気がつく

ふと、思い出したことがある。僕はほぼ天涯孤独の独身なのだ
つまり、孤独死一直線コースを順調に歩んでいることになる。

調べたところによると、遺族のいない孤独死は行旅死亡人扱いとなり。
早々に自治体によって火葬されてしまうらしい

じゃあ、遺影は必要ない…ってコト!?
あほくさ。寝よ。



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