AI時代に関してさいきん考えていることメモ
AIが急速に発展・普及する中で、どのように立ち振る舞うのがよいか?に関する個人的メモです。
個々人の意思 < 世界の流れ
AIを使いたい or 使いたくないとか、賛成 or 反対とか、そういった個々人のスタンスに関わらず、世界はAIが普及する方向に急速に進むと思っています。
PCやスマホが有無を言わせず進歩してきたように、特に生産性を上げるものについては資本主義というOSが存在する限り、発展する方向に力が働きます。
15年前には誰も持っていなかったスマホが今や必需品になっているように、AIまわりの技術がそういった位置付けになるでしょう。
もはや人間の線形の想像を超えた速度・精度になりつつあるので、自分の感覚や感情よりも、起きている事実や構造を正確に捉えたいなと思っています。
めっちゃ賢い
もはや人間とは全く比にならないレベルで賢いなと感じています。
どうしても本能的に「自分がやったほうが速くて正確だろう」と思ってしまう時があるのですが、計算は暗算よりも電卓が、洗濯は手洗いよりも洗濯機が優れているように、どう考えても任せていったほうが効率的です。
変なプライドにひっぱられることなく、現段階では多少非効率だったとしてもどんどん任せていくことが、将来を織り込んで長い目で見たときの効率化につながるだろうなと思って取り組んでいます。
意思が大事
「優秀さ」ではとても敵わないのですが、少なくとも現状では本質的な意思を持っているわけではありません。
人間の意思は時に非合理的ですが、それこそがAIになくて目的関数として定義され得ないものとなるでしょう。
なので自分の中で重要視するポイントが、「合理的かどうか」よりも「感情的に好ましいか」にシフトしつつあります。
もっとそういうふうに自分の快不快に対して素直に生きることが、他者にはないエネルギーの投下量を生み出し、差別化要因になるのかなーと想像しています。
人柄
「AIに比べたら人間の能力の個体差なんて誤差みたいなものだよね」となった場合に、人間にとって能力よりも人柄の重要度が高まっていく気がしています。
前に読んだ本に「乱世では才能が重視され、平和な時代には家柄や人柄が重視される」という話がありました。
なぜなら、乱世では生きるために必要なリソースが、才能のある人の元に集まるからです。
しかし才能の差がほとんどない状態となれば、さまざまなリソースが「いい人」の元に集まることになるでしょう。
そういう意味で人柄がいいことの重要度は増していくのでは?と思っています。
健康
健康な状態を保ったり、体力的なリソースの量を上げるor維持することは、やっぱり人間が自らやるしかないと思っています。
もちろん間接的にダイエットをサポートしたり、健康状態をモニタリングしたり、といった技術は爆発的に進んでいくはずですが、最後に重い腰を上げるのは自分しかいません。
そしてこういう健康面って基本的には習慣が決める気がしているので、日々の習慣をなるべく健康的にしていこうと思っています。
まとめ
まあこんな予測も、ぼくよりAIのほうがはるかに精度よくやってくれるはずです。
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