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とある日の雑感

あるSNSで、重度身体障害をお持ちの方と繋がらせて頂いている。

生活をするのに食事やら入浴やら、他者の介助を受ける必要がある方だ。

そういった方であっても、今はPCがあるので自分の思いを発信することが出来る世の中で、それはいいことだと思う。

周囲に感謝しながらも、とても前向きな方で、必要以上に卑屈になることはなく、思いの丈を綴るその方の書き込みを読むといつもホッコリとした気分になる。

ある日、その方が「こんなことを言っても仕方がないからいつもは言わないけれど、本当は五体満足に生まれたかったなぁ。でも考えても仕方がないから、前を向いて生きるよ」という率直な呟きをされていた。

弱音を吐く時ですら、最後には明るく。周りに配慮も出来る素敵な人柄だなぁと感じた。

そんな時、とある女性の返信の書き込みがとても気になってしまった。というよりむしろ、目障りに思った。

「そりゃそうだと思うけれど、それは親には言わないで」といった趣旨だった。
親が傷つくから、と。

うーん? ちょっとそれはどうなの、と思い、思わず横レスをしてしまった。

「色んな親御さん、お子さん、家族の形があって、一概に何が正しいかはわかりません。ただ、私はたまたま自分の子供は障害がなく産まれましたが、親の立場として、私だったら、例え言っても仕方がないことであっても、子供が率直なそのままの想いを聞かせてくれたら、それが嬉しいです。子供には本音を語って欲しい。」と。

そうすると、ご本人は、「自分の親にいう予定はないけれど、そんなふうに言って貰えるのはとても嬉しい」と返してくれた。

ただ、「親に言うな」と禁止したコメント主は、自分は軽度の障害を持っていて、自分が重度の障害を持つ親だということで。

要約すると、私は言われたくない、ということらしかった。多分そう思っているであろうことでも、実際に言われたら、本当にその通りだから、辛くなると。
自分が障害を持っているから、尚更だと。

それを聞いた私は…正直に言おう。
私の中に苛立ちを超えた怒りが生まれた。

ふ、ざ、け、る、な、と。

どうして子供が親に気を使わなきゃなんないんだよ。
生半可な気持ちで親になってんじゃねぇよと。
障害持っていようが親になったら、覚悟決めるんだよ。甘ったれが。

元福祉従事者にあるまじき思いだった。

子供のありのままを受け止めるのが親の仕事だろうと。
親が、子どもを全肯定してくれたら、その子は無限大の可能性を開かせることが出来るんだ。
…乙武さんを見てみろよ。

てめえが勝手に産んでおいて。ろくな覚悟もせずに産んでおいて。
言いたくないし、ここでしか言わないが、自分が障害を持っていたら、子どもも障害を持って生まれてくる可能性が、(障害の種類にもよるだろうが)高くなるのは生まれる前から分かってたんだろ?

覚悟もなく産んだことは仕方がない。
多分、相当悩んで、苦悩したとは思う。
でもな、産んだら覚悟するんだよ。
この子の全てを受け止めるって。

その子が本音を語ることすら禁止する親って私から見たら毒親でしかないわ。
自分の弱さを子どもに背負わせてんじゃねーよ。

しかも、てめえの子どもだけじゃなく赤の他人にまで自分の弱さから来る、歪んだ良識を押し付けてんじゃねーよ、ばーーーーか。と。

…私は苛立ちを抑えながら、当たり障りのないコメントを残してその場を離れた。

説教やら討論なんてしてしまっては、迷惑がかかるだろうと思ったからだ。

本来なら自分は、そういった女性の味方でなければならない仕事してたんだけどなぁ。。

障害者には優しくしなきゃいかんけど、普通にムカつくときはムカつくもんなんだなぁ。

私の中の怒りの理由には気がついている。
この妙な正義感は、自分の生い立ちによるものだろうね。

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