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天の邪鬼

天の邪鬼の意味を調べてみると。

「故意に人に逆らう言動をすること、する人」とあります。心の中で「そうそう」と思っていても、あえて逆らうことを言ったりひねくれた行動をしたりすることを指す。ひねくれ者。つむじ曲がり。

ポイントは他人に対してっていうこと。

でも、わたしは自分に対して常に天の邪鬼。自分が可哀想だよね。あんまりだよ。なんてことしてるんだ。

幼い頃。家庭の事情で千葉にある団地に引っ越した。

当時は団地ブームだったらしく、倍率は相当なもので、抽選に当たった母が狂喜乱舞していたことだけ記憶している。母は新しいもの好きなのだ。

ローラースケートリンクが目の前にあったり、ソロバン塾も書道教室もピアノの先生もたくさんいて住むには快適な町だった。ベッドタウンだよね。

数年間暮らして。小学4年生の時に、またまた家庭の事情で台東区に引っ越した。

幼いながらにガーン😨
二軒長屋の木造アパート。建築されたのは昭和元年。
一階には誰かが住んでいて隣の部屋にも誰かが住んでいる。四畳半一間。裸電球、段ボール箱のテーブル。共同の和式トイレはギーギー鳴る階段をおりたところにあった。風呂はなく裏にある銭湯に通う生活の始まりだった。

ところが、だ。
新しくできた友だちには、銭湯大好きなんだーとか言っていた。トイレに行くのが怖くて怖くていつもギリギリまで我慢する癖がついてしまい、小学6年生の時に何故か教室で座ったままみんなの前でお漏らしをしたことを覚えている。食べ方が汚いとか、いじめられたりもした。

負けるもんか!と思っていたのか?
あんまり嫌すぎて妄想で生きるしかなかったのか?今となっては明確に思い返すことができずにいる。

そして、でた。
気づけばわたしは天の邪鬼。
わたしはわたしに、ずーっと逆らってきたのだ。

自分に逆らって生きることの息苦しさ。
苦しいことにさえ気づかずに暴走していた、勢い任せで生きてきた。

37歳くらいからだったと思うが、葬儀現場で働く道を選んだ。毎日のように人は死ぬ。そして葬式を出す。その時間と空間に立ち会いながら、わたしは長い歳月をかけて自分を取り戻しつつある。何故だかはわからないけど。

死を、不謹慎だとか、忌み嫌う人もいるが。
そんなことないんだけどな、と思う。
数多くの。出会った故人とそのご家族と近しい人々に、わたしは洗い浄められてきたような気がする。

忘れられない数々の記憶を
ここに、書き留めようと思います。

街のお母さん食堂を作りたい!シングルマザー専用のアパートを運営したい!障がい者雇用を産み出したい!人生100年!社会とのコミュニケーションがないと人生つまらない!夢は壮大です。生きづらい世の中ではあるけれどもまだまだ捨てたもんじゃない!小さくても1歩目がなくちゃ未来は始まらない!