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コロナという大義名分.1

コロナって?ちょっとヤバいんじゃない?と、感じ始めたのは1月の末くらいだったかな。
手帳を見てみると、それでもまだスポーツジムには行ってるし500人規模の葬儀もしているし居酒屋にも行ってるし新大久保に化粧品を買いに行ったりもしてる。マスクもしていない。

2月はイチゴ狩りにも行ってるしマッサージにも行ってるし美容院にも行ったりしている。わたしはいつからマスクで働きはじめたんだっけ?

全国的にコロナに対してみんなが本気になったのは、やはり志村けんさん死去のニュースが列島を駆け巡った日からだと思う。あの時はマスクをつけて働きながら、火葬場のお姉さんたちとその死に驚き、思わず涙がこぼれてしまうほどショックだった。

4月8日に緊急事態宣言が発令されてから。
葬儀の現場は一変した。
マスクの着用必須
手洗い又は消毒の推奨
通夜などでの飲食、大皿料理の提供を自粛
長時間滞在を避けるため葬儀後の飲食の持ち帰り推奨
大人数での密を避けるため参列者はなるべく10人以下に
………そして1日葬の推奨(通夜はやらずに葬儀だけ執り行うこと)

葬儀社側としては死因「肺炎」が一番怖かった。
初めは肺や気管を冒す病だと思われていた。
検査数は足りていない。
死因 肺炎の故人が、コロナではない証明がない。

そもそも、遺体からの感染は考えられるのか?
明らかにコロナが死因だと、法律で定められている通り
死亡地から火葬場へ直送し荼毘に付すまで誰にも会わせることが出来ない。
しかし、死因がコロナではない「肺炎」の信憑性はどの程度のものなのか?

お坊さんとしては、マスクをしたままお経をあげるのは、なんとなく不謹慎な気がして嫌だなーという想いと。
お経は実は、歌手のコンサート並みの肺活量が必要で、40分前後全力で声を張り上げるとなるとマスクは息苦しい見た目も悪い。はてさて?どーしたものか。
聖職者たる悩み。

火葬場としては朝九時から夕方四時くらいまでひっきりなしに不特定多数の人が、東京のみならず地方からの親族なども集う場所で、さらに場所柄、大声での会話など控える場合が多いのでどうしても近寄ってヒソヒソと濃厚に接触することになる。相手が誰かもわからない。受け入れるのみ。

火葬を担当する職員は、直に遺体に触れるわけではないが遺体の保管室もあるし不安は払拭できない。

とにかく、全体が不穏な空気に包まれていた。

葬儀を出す親族の側も。
家族だけの集合ならともかく、遠くから来る親戚や、故人の友人などと長時間一部屋で過ごすことや、マスクを外して飲食することや、故人を偲びながらの会話などにピリピリしていた。

葬儀に参列する側は。
亡くなる方は大方高齢者。
その、兄弟姉妹も高齢者。
兄弟姉妹は参列したい、せめて最後に顔だけでも見たい、見送りたいと思うのは人として当たり前の感情。
しかし、その人たちにも家族がいて。
東京に行くことのリスクを訴えられる。反対される。
そんなこんなで。兄弟姉妹すら見送に来れない。

たとえば栃木や群馬が故郷で、お墓もそこにある。
死んだら故郷の土に還りたいと願った故人。
しかし、県を跨ぐ移動に制限がついてから
県を跨いで東京に来てくれるお坊さんが居なくなった。
通夜も葬儀もやらないで荼毘に伏して、コロナが落ち着いたらお寺に来て葬儀をやりましょうと言う。
お坊さんに言われたら仕方ないから親族は受け入れる。
それで、火葬のみ、執り行う。ごくごく近しい家族のみ集まって…

この話を、きれいにまとめようと思えば。

憎いコロナは、人の終焉の儀式さえも脅かし、残された多くの人々に悔いを残した。やるせない想いばかりが行き場所を見失い、心に留めた悲しみや惜別の気持ちは封じ込められたまま、故人の最後は語り継がれる。

コロナで満足のいくご葬儀もだしてやれなかった、と。

この話は、次につづく。

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