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死と未来

冠省
こんにちは。アラカン marです。

複合型大型ショッピングモールに行きました。行く途中途中に団地が点在していました。マンモス団地もありました。すぐ隣には高層マンション。公園なども広々ゆったり作られていて町が素敵にデザインされています。車窓から眺めながら、自分の子育て中を思い出しておりました。

かつての団地は活気に溢れておりました。団地の真ん中にあるスーパーはみんなが利用するので、ちょっとした交流の場・憩いの場でもありました。
子供たちはスーパーの中を走りまわり、ママたちは大声で注意しながら話をやめない。そのうち誰かが泣き出したりしてママたち解散、みたいな。地域に子供が多いとこうなりますね。ですがそれも一過性の物。あと10年もしたら皆、大きな子供に成長し電車通学し始めてしまいますもの。

子供がいる街には未来があります。

わたくしは葬儀の現場に居ても同じことを感じています。

昨年実父が亡くなりました。82歳。脳梗塞で倒れて1か月半。あれよあれよという間の出来事でした。父は亡くなってから荼毘に伏すまでの数日間を我が家で過ごしました。孫やひ孫に囲まれて、時にちょこっと踏まれたりして(親父ごめんね)ワイワイと見守られておりました。宗教依存症の母は葬儀の算段にかかり、妹は会社に通勤しながら我が家に立ち寄ったり。わたくしといえば、人数分の三食を考えて仕入れてこさえての繰り返し。けれど、いつも誰かがそばにいて他愛のない話をし、誰かが犬を散歩に行ってくれて、誰かがお線香をあげている光景はただただ温かい空気に満たされておりました。親父はにぎやかなのが大好きだったから。上げ膳据え膳のお酒でもなめながら、部屋のその辺から見ていたかもしれません。

棺の中にいるじいじに話しかけるひ孫たち。この家に、未来がありました。

このあとわたくしは、自分の中にあるモヤモヤをひとつ解決することになります。

生と死は表裏一体で、死は流れる水のごとく生から続いているもの、とわたくしは思っております。特別なことではなく、いつもすぐそこに在るもの。明日の朝、必ず目が覚めるなんて、保証はありませんものね、誰しもみんな。
葬儀の時によく耳にするのが「まさかこんなことになるなんて・・」という言葉です。気持ちはわかります。けれど、余命を告げられて意識混濁が始まり鎮痛剤などで眠ったままになり、排せつもうまくいかなくなり血圧も下がってきた。今日明日が山ですよ、と言われたけど、まさか今日だと思わなかった。とおっしゃる方のなんと多いことか。
それは、物事が理解できない、というのではなく、認めたくない、という気持ちの表れなのでしょう。悲しさがこみ上げてこない。泣けない。ただ、ぼぉーっと為されるがまま言われたままの時間が過ぎているだけ。
「死んだ」ってどういうことなのだろう・・・そしてフリーズ。

わたくしは、葬儀の現場に来る日も来る日も立ち会わせていただきましたので、そこで学習していたのです。年齢も性別も関係なく、善人も悪人も人望のある人も嫌われ者も関係ない。病の果てなのか、事故か自死かに関わらず。人の命、体温は消えゆくものなのだ。鼓動は止み、呼吸が途絶えるものなのだということを。二度と再びその声を聞くことは叶わなくなる。
よみがえることは絶対にないのだ。辛くても悲しくても火葬しなければならない。煙となり灰となるのを見届けるのだ。ということを。

縁起でもない、とか死は不浄とか、忌み嫌う人も見受けられますが「死は」別世界の出来事ではないことを早くから認めること、そのような教育が欠けているように思えてなりません。年老いた方でさえ、「死」を全くの非日常に置いているのですから。

わたくしは宗教依存症の母に育てられましたので、人としての温もりある会話や共感が乏しいまま大人になりました。母が信じる宗教以外は悪であり、人間のこの世での苦難は修行である。前世から持ち越した負の課題をこの世で果たすために今のあなたがあるのだから・・と、幼い悩みを相談しても「修行だから」と言われ、良いことがあれば「神様のおかげ」と言われ自己肯定感の低い人間が出来上がりました。それを全力で嫌って生きてきましたので、スピリチュアルなど信じない・神になど頼らない・等々、過剰なまでに宗教全体を忌々しく思っていました。しかし、よくよく考えてみるとわたくしが嫌っているのは依存している母であり、世の宗教やスピリチュアルではないことに思いが至りました。葬儀に関わり毎日毎日人の死を見つめたからこその深い気づきでありました。

なぜ、人は、誰かが死んだらあーしておけばよかった、こーもしてあげればよかったと、他者の人生を死後になって、勝手に足し算したり引き算したりしたがるのか。そんなことをせず、その人の一生をただただ思い出し、胸に刻むだけではダメなのか?そんな風に感じておりました。亡くなってしまったからと言って、記憶から完全消去されるわけではありません。死を迎えてもその人の面影がある限り、残された人の中で息づいている。生きている時に、会いたいと思っても自分の都合で先送りする。電話しなきゃと思っていても後回しにする。自分がそうしてきたのに、死んでしまってから後悔する。それでいて、死を受け入れられないという。

そんな話をしておりますと娘がポツリとつぶやきました。
「でも、そばにいた人がいなくなると単純にさみしいよね。」

その一言を聞いて目が覚めました。
言葉だけを真に受けていた自分が情けなくなりました。
みな、知っていたのです。わかっていたのです。
でも、誰かにその話をするときに、素直に「さみしい」とか言わないだけなのです。なんだかんだと言いながら、一生懸命「死」を受け入れようとしている、その過程にお決まりの文言の数々が力を貸してくれていただけなのです。

こうして、父の死は、私の長年の「宗教」に対する思い込みや、葬儀現場での「こうあるべき」に感じるモヤモヤを一気に解消する、そんな時間をもたらしてくれました。

葬儀の現場に子供がいると、反応は様々です。知らない人がたくさん来ていていつもと違う雰囲気に泣きだしてしまう子。遺体を見せることさえしない家族もいます。子供のトラウマを恐れているそうです。あるお坊様は、いい勉強になるんだから立ち会わせなさいと言い、泣き叫ぶ怯える子供を火葬炉の前に連れてくるよう命じました。それもどうなの?と疑問に思います。
火葬が終わり、火葬炉から遺骨が出てくるところを見て不思議そうな顔をする子供。ママに、なんで骨になるの?と質問すると母親が「魚を焼くと骨が残るでしょう?あれと一緒」と答えています。ちょっと違う気もする・・

子供に「死」を説明することはとても難しいと考えがちです。お星さまにさるんだよ、とか天国に行くんだよ、とか厳密にいえばそれが真実かどうかはこの世の人はだれ一人知らないのです。けれど、決して「無」になるのではなくどこかそのあたりに面影を残していてほしいと願う。だから、その辺からみんなを見守ってくれているんじゃない?と説明する。
「だから悪いことをすると罰があたるよ」などと言うのは死者に対する冒涜です。誰がわざわざかわいい孫やひ孫を、恐怖のどん底に突き落とすような形で戒めるって?自分の言葉できちんと叱ってあげてね、死者のせいにせず、と思うのです。

そんなことを考えながら。
わたくしは今日もしあわせにむかって生きるのです。    不一

街のお母さん食堂を作りたい!シングルマザー専用のアパートを運営したい!障がい者雇用を産み出したい!人生100年!社会とのコミュニケーションがないと人生つまらない!夢は壮大です。生きづらい世の中ではあるけれどもまだまだ捨てたもんじゃない!小さくても1歩目がなくちゃ未来は始まらない!