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【観劇】フェイクスピア【“本物”の言葉、悲劇とは?】

 運良く初日が取れてしまった。
 ありがとうございます。
 満席だったし、前の座席も普通にお客さんが入っていたので、感染対策的に大丈夫なのかと少し心配なりましたが。
 ネタバレ満載なので観劇予定の方は、絶対に!読まないほうがいい。舞台で衝撃を喰らってくれ。





 文学部出身のくせに、シェイクスピアは主要作品のあらすじ程度しか知らない。が、日空機123便墜落事故のことは個人的な興味でウィキペディアを読み込む程度には知っているという皮肉。好きなんですよ、過去の事件事故の記録を読むの。
 だから、「頭を下げろ」「8月12日」「飛行機」「36年前」が出てきたあたりから、もう全然、笑えない。これはひょっとして、あれか?と。なんで今?とも思いながら。
 私にシェイクスピアの下地がなかったせいで、前半の憑依劇がうまく入らなかったのも大きく影響しているとは思う。観客から笑いは起きていたので、知っている人には通じる「笑い」だったのでしょう。もっと勉強して。ただそれ以上に、彼らが届けようとしている「本物の言葉」の重み、その対としての「戯曲の言葉」を考えてしまった。
 「シェイクスピア」→「フェイクスピア」という語感から、発想された物語なのだと思います。今なお、現代において翻訳され続け、新たな解釈が生まれている戯曲の大家に対し、フィクションではない本当の悲劇とは何か、真実の言葉とは何かを突き詰めて、野田さんはこの日空機墜落事故に行き着いたのでしょう。
 私自身、テレビの特集か何かでブラックボックスに残された音声データを聞いたことがありました。自らもう一度聞く勇気は私にはとてもありませんが、あの最後を演じるにあたり、役者たちは何度もその言葉を反芻し、当時の状況をシュミレートした、その可能性がある。その過程を思う、その過程を強いるものを書いた野田秀樹という人が、私は怖い。あの言葉の一群は、一字一句、変えていないと考えられます。
 前回のQの感想で、彼のことを「現代のシェイクスピア」と表現しました。そして、今作は自ら、その役に入ります。
 おまえが作る悲劇は嘘だ。
 おまえが作る言葉は嘘だ。
 何が四大悲劇だ。
 何が言葉の神さまだ。
 おまえは本物の悲劇を知っているか?
 おまえは本物の言葉を知っているか?
 言葉を遊び、虚構を連ね、悦に入っている、なんと愚かな!
 そんな、自虐の声さえ聞こえてくる。
 これを、65歳まで芝居で飯を食ってきた野田秀樹が言うわけですよ。日本を代表する戯曲家の一人の、彼が。いや、もう脱帽です。
 このコロナでエンタメ不要として窮地に立たされたであろう彼が、これを今、出してきたのかと思うと、何とも言えない気持ちになります。
 以下、役者さん。一部。

mono/高橋一生
 今回の抜擢にはその女性的な色っぽさがあったのではないかと思います。橋爪功との掛け合いで女性役を演じることの方が多いのですが、そのさまはまさに「憑依」。乗り移ったのかと思うほど。これはドラマ「天国と地獄」でも見受けられた演技ですね。そのうち、女装家とかもやってほしい。
 四大悲劇の女性役を次々と演じつつ、最後のハムレットで父役になるのは大きな「外し」。そして、そこでようやくこれが父と息子の、親子の物語とわかる。この父親役がまた柔和な優しいお父さんといった感じでね。良いです。
 monoは一つの音、一つの言葉と対応しつつ、「物の怪」の「もの」、物語の「もの」であり、霊的な存在であることも示している。

アブラハム/川平慈英、三日坊主/伊原剛志
 いつ「楽天カードマーン!」って言うんじゃないかとハラハラしながら見ていた。アドリブでどこかで言うかもしれない。初日は流石になかったw
 神様の使い、使者、から、死者へ。この辺はお得意の言葉遊びですね。
 正直、この二人の掛け合いは面白かったけれど、シェイクスピアの下地がないのでうまくハマらず。王の使者が敵国に殺されるのはあるあるだけど、そういう役どころがあったのかな?

楽/橋爪功
 パンフレットのインタビューでありましたが、「お、ハムレットを冒涜する気だな」とすぐに察したあたり、さすがと思って笑ってしまった。
 とはいえ、四大悲劇の主人公たちを演じたのは楽しかったようで、こういう良いとこ取りの朗読劇が欲しいとの意見には「私もです」と頷いてしまいました。というか、野田さんの作者朗読が聞きたいよ、そんなやり方しとったんかい。
 息子役を年配が、父親役を若者が演じるこの逆転はイタコ母娘にも見られますが、それだけの年月の経過を思うと同時に、「老いてなお、最後まで生きん!」とする覚悟のようなものさえ感じられました。まさに、「楽しんで」→楽、死む。

星の王子様、伝説のイタコ、白い烏/前田敦子
 まさかの三役。お疲れ様でした。
 今回、老いと若さの対比が顕著ですが、作者の野田秀樹、作中のシェイクスピアの対として、彼女の役回りがありました。作る側と作られた側。
 伝説のイタコはキャラが立っていたのでやりようがあったと思いますが、他2つはかなり難しかったのでは? 星の王子様も白い烏も野田さんの役柄と共に狂言回し的な存在で、物語を進めていきますが、捉えどころがない。とはいえ、星の王子様はまだどうにかなったのか。
 「人間ではないもの」の配役といえば、記憶にあるのは「逆鱗」の松たか子ですが、あれが中央に置かれた舞台の象徴とするなら、彼女が演じたものはその脇に置かれた空虚な創作物です。息をしていない。生者ではないもの。
 本全体としては戯曲の言葉、創作の言葉の無力さを語っているように見えますが、星の王子様に代表される、有名なフレーズ「本当に大切なものは目に見えない」に仮託された言葉と声の重みを考えると、やはり完全には捨て切れるものではないのでしょうね。
 …ちなみに私は「星の王子様」すら未読です。

なぜ、今?
 「生きる」という最後のメッセージは、正直なところを言えば、彼の作品にしてはややクドいとは思いました。説教くさい、とも。
 ただやはり、このコロナですよね。状況によっては公演できるか危ぶまれる、その中で、また自殺者が増え続けているこのご時世で、今、彼が伝えたい言葉は何なのか。
 死者の言葉を借りて、「生きろ」とメッセージを投げかけるのは雑にも思いますが、65歳、前期高齢者の仲間入りをする(ようには全然見えない)野田秀樹が、ここに来てあの墜落事故を取り上げ、それを伝えようとするのは「老いて、枯れる」前の一仕事だったのかもしれません。
 主演に高橋一生や前田敦子を起用したのも、そのファン層の若さを考慮してかもしれません。あの事故のことをはっきりと覚えているのは40代くらいの方々ではないでしょうか。舞台好きの20代がシェイクスピアで笑えても、123便墜落事故で泣けたかどうかは際どいところです。観終わったあと、お調べになる方が多いと思います。
 8月12日、毎年、8月6日、9日、15日の終戦シーズンの狭間に現れるように、この事故のことはニュースでチラリと放送される。夏は私の中で「死」のイメージ、とりわけ「白」の色が強いのだけど、多分この辺に起因している。
 年々、追悼の一環で山に登るらしいですが、ご遺族もまた高齢で、厳しくなっているという話を聞きます。なぜ、今、あの事故なのか、と思った時に、作家の高齢と、時間によって風化されていく「本物の悲劇」を考えずにはいられませんでした。

 でも、80歳までは書いてくれるんでしょ?


追加

 5月24日に初日を迎えた本作。例の事故の乗客は524名です。生存者はうち4名。


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