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スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.2

焼き物に使う土について

天野:釋永さんは、ご自分の作品は材料となる粘土は土を掘るところからご自分でなさるそうですね。

釋永さん:自分で土を掘る理由は、山の中で同じく見える土でも、粘土層の上下の差でわずかで、焼け味や性格が違ってくるからです。大量の粘土を作っている会社ですと、一山を大きく崩して、全体の土を撹拌します。そうすることで品質が平均し安定した粘土ができます。しかし、土それぞれの僅かな差を大切にしたかったら、自分で掘る方法が一番ですね。

天野:なるほど。それにしても、土の良し悪しが見極められる、という、そこがすごいと思うんです。普通の人にはどれが良くてどれが良くないなんてわかりようがないじゃないですか。私が以前に記事を書かせて頂いた時に、とても驚いたのが、おじい様が土を指で舐めて、土の良し悪しを見分けたというところなんです。舌を使ってというのもすごいですが、更に舌で良し悪しが分かる、ってところがもっとすごいなと思って。

釋永さん:最後は焼かなければ分からないけど、この土が焼き物に向いているかどうか、最初に舌の上で、粒子がどれくらい細かいか荒いか、また溶けるスピード。有機的な味がしないか?など、目や指より舌先の方がよくわかる。僕の祖父時代は、土探しに行ったら、大概そんな風にしていました。

天野:そうですか。五感を使うということですね。

釋永さん:そうですね。

天野:土の香りや、指で触ったときの触感、さらに舌で舐めてまでして。。すごいですね。

釋永さん:僕は、白土(しらつち)と呼ばれる上質の白土を好んで使っています。目的によっては、素朴な土の焼味を求めたい時は、それに合った土を選ぶこともあります。

白土

ご自宅のすぐ前にあるこんもりした場所で白土を実際に見せて下さる。

釋永さん:ここの白い粘土は帯のようにして山の中腹にあります。なかなか見つからない希少な土です。近辺は全体がねんど層なのですが、白土は1%の量もありません。

あと、ここの敷地の上には茶室がありました。去年壊しました。もうかなり長い間傾いていたんですが、勝手には壊れてくれない。そんな構造でした。昭和天皇の弟、高松宮が天皇御巡幸で、焼き物を見に家に立ち寄られるということになって、それで大慌てで茶室を作ったと聞いています。

ご自宅前にある白土


昨年まで茶室のあった跡地

おじい様の思い出

釋永さん:僕の小さい頃は、学校から帰ってきたら、どこか遊びに行こうと思っても、こんな所ですから、近くに一緒に遊ぶ同級生がいるわけでもないし、遊びに行こうと思っても、いろんな所が土を掘った後の溜池みたいになってたんです。ですから、子供が近づいたら叱られるような場所が結構あるんです。で、ワンコのスピッツを連れて散歩がてら爺さんの工房へ行って、そこで土を少しもらって、遊んでいました。それが、爺さんにしてみたら目の届くところに孫がチョロチョロいるから、安心だったんでしょうね。それが記憶とし出てくるのがね、4歳ぐらいからぐ出てきます。小学生になった頃から、山へ土を取りに行くっていうのに一緒について行って、ここにこんな土が出てるんだとか、そういうことを爺さんが話してくれました。僕は側で一緒にいたんだけれど。ちっちゃい孫が後ついてくるのが嬉しかったんだと思います。また手元で遊ばせておいた方が安心だってこともあったんでしょう。

そういう環境で始まっていて、小学校の高学年の頃には、「これ僕にやらせて、この仕事させて」って言い始めて、もうエントリーしてました。中学生になると、家に来ていた職人さんが、彼は石川県の方でだったんですが、夏休みはその職人さんの家に泊めてもらって、九谷焼の産地へ行って遊ばせてもらいました。

天野:なるほど。もう、陶芸家になるべくしてなられたと感じですね。釋永さんのお作りになった登り窯の名前は、庄楽窯ですが、由来はおじい様のお名前、庄次郎さんからとって、「庄次郎が楽しく窯を」という思いを込めて命名されたそうですね。お爺様に対する愛情が伝わってくる素敵な命名だと思います。

敬愛するおじい様への想いが込められた窯名



記念撮影




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