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スティーブ・ジョブズが最後まで尊敬し続けた陶芸家 釋永由紀夫氏との対談 Vol.6 呼吸と間合いについて

呼吸と間合いについて


天野:話は変わりますが、拝見させて頂いた動画の中で、物作りをする人ににとっては、呼吸と間合いが大事だということお話されていました。「もし私が娘に何か教えてられることが一つあるとしたら、呼吸です」と。「どういう呼吸をしてるの?」「これを作ったときには吐いてたのとか、吸ってたの」と。私、あのくだりが非常に興味深く印象に残ったんです。ということは、即ち釋永さんご自身が呼吸を意識して作ってらっしゃるからだと思うんですが。呼吸と間合いがとても大事ということについてお聞かせ願えますでしょうか?

釋永さん:うん。呼吸っていうのは自分のもっている力を出しやすい、力を出すためものです。例えば走り高跳とか、棒高跳びでもいいんですが、「よーいドン」とスタートが鳴らないもの。鉄砲がなって一斉にスタートする100m走みたいな競技じゃなくて。フィールド競技っていうんですかね。僕が見てるのは、選手がどうやってスタートを切るか、そこを見てるんですよ。スッと待って、自分の力を発揮する一番いいタイミングで飛び出す。その間合いをはかってると思う。その時の表情が選手それぞれ違う。で尚且つ棒高跳び、走り高跳は、直前まで歩数を合わせて行ったけど、もう一つ息が合わずに踏み込めなかったりする。そうするとスルーしてまた挑戦する。

これは武道でも同じことが言えるんだけど、人が一番力を中から外に出す時というのは、グーッと吐く時なんですね。痛みにこらえる時も、外力に耐える時も、やっぱり大きく息を吸ってハーッと息を吐く時でしょう。

天野:おっしゃる通りですね。お産もそうです。赤ちゃんを産む時も力んでグーッと息を吐いての繰り返し。

釋永さん:物を作る時もそうなんです。一番最後に、無造作に作ってたらそれは機械と一緒なんですが、最後の形を、指をどう離すかっていう時に、フーッと息を吐きながら終わるんですね。

天野:はあ。そうなんですか。素晴しい。なんだか感動します。

釋永さん:そう。それがとっても大事なんです。師弟関係で、弟子が師匠の横で仕事を見ていると「お前がいると気が散るから近くにくるな」と、そう言われてしまう弟子も中にはいます。でも僕の師匠はそんなに僕のことが、呼吸がイヤじゃなかったのか、先生の横でこう見てても、こんな至近距離にいても「お前あっちへ行け」とは僕は一度も言われたことはなかったですね。結局どういうことかっていったら、先生がしている呼吸に僕はね、そこに邪魔になって入るような呼吸をしてなかったんだと思う。おんなじリズムで呼吸していたから。

天野:すごい深い!深すぎます、それ。釋永さん、そこまで意識して呼吸に気を配ってらっしゃるとは。。

釋永さん:そうなんですよ。こうやって、呼吸してるのが分かるような距離にいて見させてもらえる、ってことは大変なことなんですよ。どういう呼吸で、息をフーッと吐く時に、形をどうやっていて、どのような動きをしてるのか、とか。それが見せてもらえたら一番勉強になるんですよ。

天野:素晴しすぎる。

釋永さん:そんなこと考えません?

天野:お恥ずかしい限りですが、私はそこまで考えが及びません。日常の生活でも、仕事でも、呼吸を意識ながら、というのはないですねえ。あの動画を見て、このくだりを聞いた時、さすが物作りに関わる方の着眼点というか、意識の持って行き場所が違うなって、私はハッとさせられたんです。そしてとても心に響きました。

釋永さん:邪魔にされないっていうのは、近づいて行っても警戒されてないってことだから。

天野:それは正におっしゃる通りですね。

釋永さん:それだから、近くで見れるんですよ。また、見てるのは、形を見ているのではなくて、どういう間合いで師匠は指を動かしているのか、どういう間合いで形を大きく広げたり縮めたりしているのか。それがね、面白いことに一人一人違うんです。スポーツのさっきの話と同じになるんですけど、それぞれが自分のベストを出すために、そういう息遣いをしながら作ってると思います。だから、自分の師匠から何か盗もうとしたら、一番盗みたいのは、今言ったように、、、

天野:間合い

釋永さん:そう。その間合いです。これだけは真似できないものがあるんです。もちろん、その方が作った作品に近づきたいってのはあるんだけど、それは先生に近づきたいんですよ。

娘には、そんな意味合いでそういう話をしたと思うんですけどね。
それ以外は何も僕から教えられるなんてことなんて何にもないですよ。
本能でリズムを掴んで学んでいってくれたらいいんでしょうけれど。

天野:それは知識じゃあないんですよね。そういうことって。

釋永さん:そう。知識じゃないんですね。

天野:なんて素晴しいお話でしょう。大変ためになりました。どうもありがとうございました。

釋永さん親子 存在感に凛とした神々しさが感じられた


継承

越中瀬戸焼は、釋永由紀夫さんの長女、陽さんに受け継がれている。
父を師匠とし、また現在は同志として作陶に真摯に取り組まれる姿は
誠に眩しい限りである。

2014年に、夫と共に立山町虫谷地区にある築80年の古民家を購入し、そこへ引っ越し独立。大きな母屋と二つの納屋を夫婦で改修し、一つを夫用、もう一つを陽さん用の工房へと生まれ変わらせた。

釋永さんの娘、陽さんとご主人の川原隆邦さん お二人の住む古民家の玄関先で


娘の陽さんは、既に立派な陶芸家としてご活躍するとともにその地位を確立されている。小さな集落にある、この自宅兼工房で、二人の幼いお子さんの世話をしつつ、お母さん業と創作活動に日々励んでいる。彼女の作った湯呑みは、日本最高峰の鮨店、小松弥助にて使われているという。日本では、「東の次郎、西の弥助」と称され、小松弥助は人間国宝の鮨職人が握る名店中の名店だそうである。東の次郎は、銀座にある「すきやばし次郎」のこと。西の弥助とは、石川県金沢にある「小松弥助」。この日本に二つしかない名店に陽さんの湯呑みが使われていること自体、彼女がいかに名工であるかを証明している。一流は一流を呼び合うものだと痛感した。

夫の川原隆邦さんは、約400年前に生まれた「蛭谷(びるだん)和紙」の伝統を受け継ぐ、和紙職人。この和紙は、強靭でいて柔らかく、千年保存できるほどの耐久性を持つといわれている。彼は、原料となる楮(コウゾ)を植えるため、まず山を開墾するところから始めたという。彼の工房もご案内頂き、彼がどのようにして和紙を作っているのかをご説明頂いた。

釜で茹でて終わった楮(こうぞ)という木の皮。水にさらしてあく抜きしている。和紙の主原料
楮(こうぞ)の苗と、主原料となる繊維。この後、木槌でトントン叩く作業をするそう。


自ら和紙の材料からとなる木の苗から栽培し、丹精込めて育てた木から樹皮を剥がし、茹でて、たたいて、乾かしてと、全工程を彼の手で仕上げる和紙は国の伝統工芸品に認定されている。全てを一人でこなしているところは、釋永さん同様である。そういうことができる人間はは世界でも稀であろうと思う。

東京の虎ノ門ヒルズ駅が開業した時、そこのオフィスビル「虎ノ門グローバルスクエア」のエントランスを飾っているのは、川原さんの創作した巨大な一枚紙の和紙アートだそうだ。今後が更に期待される伝統工芸アーティストだ。


酒粕から作った発酵和紙のアート


棚田に囲まれたこの小さな集落には14軒の民家と神社が一つあるのみだという。私は今回の訪問を通して、のどかな日本の原風景のみならず、生粋の日本人に出会った気がした。

自然と上手に共生し、日常の生活に芸術をさりげなく取り入れる素敵なライフスタイル。自分の生まれた土地で、家族が作った器で囲む食卓。そんな最高の生活の形を具現しているご家族がここにいる。

匠の技の継承が、年々難しくなる中、この様にしっかりと地に足をつけた、堅実で静かな情熱を胸に秘める芸術家を称賛しないわけにはいかない。





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