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”宝石の国”との思い出

漫画を好きになり始めた小学生の頃、表紙の煌びやかさに惹かれ、単行本を手に取ったのが初めての出会いでした。
購入してすぐに読み進めましたが、当時の私は独特な世界観を理解することができずに本棚の中にしまい込んでしまいました。カラフルな背表紙たちに囲まれて、シンプルな背表紙は歪でありながらも存在感があった気がします。

再び本を手に取ることになったのは数年後の2017年、アニメが放送され始めた時です。アニメや漫画が好きな友人たちが宝石の国を観ていたので、私も「観てみようかな」と視聴を始めました。すると、驚きです。あの頃は上手く理解できなかった世界観がすんなりと頭の中に入ってきます。「めちゃくちゃ面白いじゃん!」となった私はアニメの視聴を終えると、漫画を集めることにしました。

よく行くショッピングセンターにある本屋さんで数冊まとめて買ったことは懐かしい思い出です。
その本屋さんは改装したことで姿形が変わってしまいました。レジの位置も、棚の位置も、なんなら本屋さんがある位置も変わりました。
けれど、記憶の中には何階のどこら辺に本屋さんがあるのかやレジの位置、棚のどの辺りに漫画があったのかを鮮明に覚えています。それほど、心に残る買い物だったのかもしれません。

こうして集めた漫画を購入した当日に読みました。ベッドの上でうつぶせになりながら、首が痛くなってきたら座りながらと姿勢をぐるぐる変えながら読み進めます。
アニメ最終回の時点で展開に心がキュッとしていましたが、漫画を読むとさらに心が締め付けられていく感覚になりました。なんて悲しくて美しい世界なんだろうと思っていた気がします。
読み終えた時には、次巻はどうなるのだろうかと発売日を楽しみにしていました。自分なりの展開を想像したりしながら発売日を待ったこともありました。

漫画は友人に貸したこともあります。学校では漫画は持ち込み禁止でしたので、こっそりと漫画を持って行きました。
リュックの奥深く、教科書やタオルを重ねながら忍ばせます。万が一に持ち物検査が行われてもパッと見ただけではバレないだろうという算段です。
身なり検査も持ち物検査も入学時以降は行われていないので、行われる可能性はほぼ0なのですが、ヒヤヒヤしたものです。
基本的に心配性であったり怒られたら嫌だという怖がりなので、ダメという事はしない質でした。ですので、なんだか少し悪いことをしたような気がして不思議な心地でした。結局、検査は卒業まで行われなかったので全ては杞憂でしたけれど。

部活に入っているわけでもなく、放課後に誰かと遊びに行くわけでもなかった私にとって、宝石の国を通して得られた交流は青春のひと時に刻まれています。
そこからは、のんびりと時が過ぎました。単行本派でしたので、のんびりと次の巻が出るのを待っていました。そして、最終回がやってきます。

最終回は読みたいが、如何せん単行本派でしたので12巻の最後以降の話を知らなかったのです。どうしたものかと思っていましたが、ありがたいことに1話から107話まで期間限定(4月29日まで)で無料公開されており、読み進めることができました。
せっかくなので1話から読み直すと、当時では得られなかった感情が湧き上がってきます。心の隅に残るような不思議な感覚で、なんと名付けたら良いのかは分かりませんがワッと心の中が満たされたのです。

その感情のままX(旧:Twitter)で他の方の感想や考察、意見等を読んでいくと様々なことが書いてあって面白かったです。自分では考えつかなった視点、薄っすらと感じていたことを丁寧に表現していたり、他の方の考えに触れられるのは良いなと再認させられました。

様々な視点に触れて感情が昂ったまま、絵を描きたいという欲が出てきました。まともに使っていなかった透明水彩絵の具を引っ張り出し、塗り方なんてよく分かっていない状態で絵を描き進めます。久しぶりに楽しくのびのびとアナログで絵を描いたので、思い出深い一枚になりました。

たくさんの思い出や感情を与えてくれた、儚く、良い面も悲しい面も美しく描いていた作品だったと個人的には思います。完結したことは悲しいですが、その瞬間を見届けられたことは嬉しいです。本当に「宝石の国」に出会えてよかった。


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