見出し画像

「濃く、苦く、深く~丸福珈琲店小史」9

戦後の画期となった新たな支店の開業

 時代は下って、戦後の「丸福珈琲店」の大きな転機となったのは90年代。北浜を皮切りに寝屋川、都島と、初の支店を出店した頃にあたる。折しも、バブル後の不況の時代だったが、「その時に、うちに全体的にちょっとした勢いがあったんではないかと思うんです。なんかそういうノリってあるじゃないですか(笑)」と振り返る、英子氏はあっけらかんとしたものだ。
 それだけを聞くと順風満帆に思えるが、「そうではなくて、やっぱり背負ってるものがありますよね」と言葉を継いだ。店の経営的な面はもちろんだが、何より大きかったのが貞雄氏が築き上げてきた信用。どこかに“先代の生きてる間に”と追われるような意識もあったという。「ワンマンなところもあって、若い時は反発しましたけど、やはり先代が核になってましたね」と、支店の展開にあたって、改めて先代の存在の大きさを実感したという。

 とはいえ、日々お客の絶えない本店に加えて、各支店にも目を配らなくてはならない。当時は店舗が増えるたび、英子氏自ら各店に日参し、朝から晩まで付きっきりで珈琲の味を保ってきた。珈琲店のパイオニアとしての矜持が、体力の限界まで足を運ばせたのだろう。「今思えばいわゆる過労ですよね。だから、いつまでも私がしてたのではいかんと思って。実際に離れてみると、店長もしっかりするんですね。それも勉強になりました」。その後は、本店でしっかり経験を積んでから各支店へと移る形になったが、“丸福の味”を出せるようになることが、第一の条件であることは変わらない。

北浜店 - コピー

お土産として再び世に出た戦前の人気メニュー

 支店の展開とともに、持ち帰りできるメニューを始めたのも、当時の新たな試みの一つ。それまでも、“珈琲を持って帰れないか?”という要望は少なからずあったようで、「魔法瓶を持ってこられたりするはよくありましたね。そういうお客さんが多くなったので、表向きにはしてないけど、3人分ぐらいの透明のポリ容器を常に用意してたんです」。珈琲を持って帰りたいお客には、“沸騰させないで下さいね”の一言を添えて渡す、といった場面が徐々に増えてきた。それならばと形にしたのが、現在も販売されている瓶入りのアイス珈琲。小ぶりの瓶は、本来はソース用のものだが、濃厚な珈琲を入れるには、この容量はうってつけ。初めは無地だったが、いつしか丸福のロゴマークが付き、ちょっとレトロな形も手伝って、今や定番のおつかいものとして好評を博している。
 この瓶入り珈琲が出た5〜6年後には、隠れた人気メニュー・珈琲ゼリーも登場。当初は、レシピを英子氏が担当していた。「昔、先代が珈琲ゼリーを出してたことがあるんですよ。戦前ですけど。やっぱり子供って憶えてるんですよね、どういう風にしてたか。細かい数値は覚えてないけど、手順はかすかに記憶にあるんですよ」。遊びにも行かず、店を手伝っていた子供の頃の記憶を辿って再現された珈琲ゼリーは、どっしりとしたコクがツルリとした食感と相まって、ほのかな苦味が余韻に広がる。「珈琲だけで作ってるコーヒーゼリーって、なかなかないんですよ。珈琲そのものを使うとなると、正しく珈琲一杯と同じ値段になってきますから」とは言いながら、ゼリーは珈琲一杯分の半値程度(当時)。それでも高いというお客もいるそうだが、あまりに贅沢が過ぎるというものだろう。「反対に質を落とせば店にも響く。それはないように、というのが持ち帰りを始めた時の基本。そこが信用なんですよね」。すでに一線を退いていた貞雄氏だが、店からお土産に至るまで、そのイズムは受け継がれている。(つづく)

(『甘苦一滴』9号から一部改稿)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?