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「その先」28

――― 
 
 
「レナちゃ~ん…いつでも戻ってきていいからねぇ…!」
 
キッチンで指をくねらせ、わざとらしい泣き真似などする我が店の店長。このおネエ言葉を耳にするのもこれで最後かと思うと、少しばかり寂しさがこみ上げる。

「はいはい、ありがとうございます。今度は客として来ますよ、ぐっさんあたりと」
 
アサクラさんとの一件があってから約一ヶ月。私は夜を上がることにした。理由は特にない。祭りの後とでも言ったらよいだろうか。ここではない、他の仕事をしたくなったからだ。
 
アサクラはさんは、あれ以来一度も飲みに来ていない。それはそれでいい。来られたとしてもきまずいし。 
私はというと、あの日以降特に何も変わらず過ごしている。ぐっさんは相変わらず気のいいやつだし、他の客もぼちぼち。モナは新しい彼氏ができたようで、途端にやる気がなくなったと店長が嘆いていた。
本当に変わらず、いたって平和だ。
それでも何か、ここにいることで満たされない思いを感じるようになった。ヘアメイク中も、接客中も、店長のウザ話に付き合っている時も。どこにいても、何をしていても、ぼんやりしてしまうのだ。この店の、空気、匂い、酒の味、音、声、温度、暗さ、何もかもが私をそうさせている気がする。
 
仕事も店も人も、別に嫌いになったわけじゃない。
ただ、ここ以外のどこか他の世界に身を置きたくなった。
 
最後の日、置いていたドレスや荷物をまとめ店長たちに挨拶をすると、早々に送りの車へ乗り込んだ。
後部座席に乗り込み、大きな袋二つ分の衣装を置く。
 
「…よろしくおねがいしま~す…」 
 
「はーい、レナちゃんはいつもの所でいいんだよね?」 
 
「はーい。同じでーす」 
 
「りょうかーい」 
 
深夜三時。まだまだ冬の空は暗い。
煌々と照らすネオン街の明かりで、夜だということを忘れてしまいそうになる。行き交う人々は皆生気に溢れ、強かだ。これが最後だと思うと、なんだか少し名残惜しい気もしてくる。窓の外に流れる見慣れた風景を、ぼんやりと眺めていた。
 
私はこの街で様々なことを知った。
知ると同時に、知らなかった世界の存在を知った。
得ると同時に、二度と戻らない失ったものの存在を知った。
溢れる金は流れ、人を溶かす。
一度染まれば、あの頃の自分には戻れない。

ここはそういう街。仕事をやめれば自ら訪れることなんてまず無いだろう。私は今日限りでこの街の仕事をやめた。祭りは終わった。ジ・エンド。完全にこれで終わりだ。
小さな欲望に流される人が多いなかで、私は自分をキープできたほうだと思う。酒が好き、金が大事、そんなことは元々の性格であって。別に自分のプライドを曲げてまで客に媚びないし、いつだって元通りに…
 
「………」  
 
赤信号。乗っていた車が停まった。
ふと、自分の右手のひらを見つめる。 
 
あの日触れた手。
質感、重み、体温。 
 
私が知ったそれらは、ちゃんと忘れるだろうか。 
 
最後の日。
全てが事実で、あの時私はその場にいた。

後悔、反省、好意。

あの人の不器用な思いやりを。
私が選べなかったその先を。
無くしたその先を。 
私は忘れるだろうか。
 
あの日の正解を、今でも考える。

「……こーかいしてみたいです…わたし…」

後部座席で一人、忘れない言葉を呟く。
こんなの、なんの意味もない。
ネオン街の明かりが目に痛く、唇を食いしばる。

もう行こう。
もうすぐ、信号が青に変わる。

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