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「何も知らない」1


1……2……3……

――


僕は常に死にたかった。
“生きてればいいことあるよ”
ほんと、そうなんだよ。
あるよ、そりゃ。あるけど、たった耳かき一杯程度の幸せで、引きずり込まれる沼から這い出し続けるなんて、僕はもうしたくないんだよ。
世界が狭いって言うけど、もういいんだよ、僕がもういいと思った、僕の人生なんだほっといてくれ。

幼かった僕は自分の死について考え絶望した。

僕が死んでも世界は回り続ける。
みんな平等に朝は来るし、前の家の人はゴミを出し会社に行く、テレビをつければ大袈裟な笑い声が吐き出され、何も変わらない世界は進み続ける。
主役だなんて思ってた僕は、自分の存在のちっぽけさに愕然としたんだ。
僕は僕という代わりのない大きな舞台で、人生という脚本を永遠と演じ続けるけど、そんな長丁場の大舞台を演じきったとしても、最後にカーテンコールなんて華々しい終幕は無いんだよ。新しい別の舞台が始まり、僕の舞台なんて誰も覚えてない。
一度閉まったカーテンは、二度と開かない。

僕の学生時代は、異性に心奪われる事も無く、何に対しても熱意が持てなかった。
進路を決める時、こんな僕だから大人達を困らせた。
大学も、働くことも、僕にとってはどちらも同じぐらいどうでもよかった。必死になる同級生の中、長生きする気の無い僕は、今生きるのに必要な金のため働くことにした。

いくつか仕事をしたが職場の連中とうまくやれず、どれも長続きしなかった僕は、加虐性愛者受けの良いこの容姿を利用し、ウリ専で働きはじめた。
NGが無いからか、見た目のせいか。客はみんな容赦無く僕を痛めつけた。
一言も喋らずひたすら暴行を繰り返し、嗚咽が止まらない僕の頭を押さえつけ喉奥まで突っ込み射精するあの客は、特に羽振りが良く好きだった。身体のあちこちが痛くて、全身痣だらけの僕は2~3日動けなくなるからね、このぐらいもらわないと割に合わないよ。
僕は意外とウリ専の仕事が気に入っていた。客に好き放題されてる間は死にたい気持ちを忘れられるし、普段なら這い出そうと藻掻く苦しい沼に居る事が、寧ろ気持ちよく感じられた。
でも、もうそろそろいいかなって。
…何のために働く?生きたくない人間が生きる為に金を稼ぐ。どっちなんだよ、考え出すと気持ち悪くなる。ほんと僕、世間のゴミだなって。てめぇで早く終わらせろよ。

急に入ったオーナーからの連絡。指名の新規だった。
住所を伝えられ、直接客の家に行くなんて初めてで。
オーナーの知り合いか何かかな。僕としたいなんて、どんな変態だろう、なんて。
たどり着いた立派なマンションで出迎えてくれたのは、赤髪のボブヘアーが似合う綺麗な女性だった。
ウリ専で女相手なんて珍しいことじゃないけど、このタイプの美人は滅多に見ない。

「どうぞ、あがって」

彼女の案内で長い廊下を進み部屋に入る。
そこには大きな部屋がひとつ。
キッチンもリビングも寝室も、全てがひとつになっていた。
部屋のほとんどがガラス張りでカーテンはなく、都会の景色が一望できた。

人が見たら感声を上げるような景色を前に、僕は、高さに対する確実な死を連想していた。

「飲み物入れるから、座ってて」

一瞬にして彼女の声が遠くなり、吸い込まれるように窓辺へ近づいていく。
様々な建物が所狭しと立ち並び、真下の道路には小さな人間があちこちで蠢いている。

“…汚い世界だなぁ…”

吐き気がするような現実を前にほとほと嫌気が差したその時、窓の一点に目がとまった。

窓に、蝶が止まっている。
ここは35階、こんな高さまでどうやって。
ガラスの外側にしがみつく蝶は、風に吹かれ今にも吹き飛ばされそうだった。

「あの…すいません、ここに蝶が…」

家主の彼女が近寄り蝶を確認する。

「あー…ほんとだ。こんな高さに蝶って来れるのねぇ…でもこの部屋、窓無いのよ」

「窓が無い…そうですか」

窓が無い…
こんなに外に近いのに。
僕は一ミリも踏み出せない。
たったガラス一枚で。僕達はそちらに憧れる。
お前は助からないんだよ。
今生き延びて何になる?足だって辛いだろ。
お前はそこに掴まり続け命尽きるか、強風に飛ばされ残り僅かな命を消費し、塵となり地上の排気ガスに捏ねくりまわされる。早く諦めろ。

「すいません…もう大丈夫です、景色すごいなと思ったら蝶がいて、少し気になっただけなので…今日はどうしますか?ご要望があれば先にお聞きしてもいいでしょうか」

ガラスへ必死にしがみついている蝶を忘れようと、窓に背を向け仕事に切り替えた。

「…あぁ、そうね。こういうの実は初めてで…そうだなー…、君お酒飲める?」
「はい」
「じゃあ、お酒飲みましょう、飲みながら君の話し聞かせてよ」
「え…お酒ですか?」

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