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「その先」27

「……俺と一緒に逃げようって言われたら、お前どうする?」

「…え?」

逃げる? アサクラさんと?
どういうこと? なんでそんなこと聞くの?
急なことに頭が追いつかない。

「…だから、あいつみたいに一緒に逃げようって言ったら、お前どうするよ?」

「…………」

ライターを回していたアサクラさんの手が止まる。
そこに視線を置いていた私は、止まった拍子にこちらを見つめるアサクラさんと目が合ってしまった。蛇に睨まれたように固まる私は、アサクラさんの視線の中で答えを探す。

一緒に逃げる。
一緒に逃げない。

言葉が文字になり、ぐるぐると脳内を駆け巡る。

「…………」

思考出来ない速度で回り続ける選択肢は、途中で答えのないことに気づく。この問題に正解はない。どちらかに飛び込む勇気だ。その後は、自分自身が選んだ現実を懸命に生き、正解にしていくだけ。
それなのに、それがわかるのに。答えが出せない私は根性なしだ。口を開くのが怖い。何を言っても何を言わなくても。始まりと終わりが同時にくること、それだけはわかる。

「………ふん、なぁに困ってんだよ…」

「………」

「…こういう時はなぁ、すぐに『行くわけねーだろバカ男』って言ってやんだよ」

「…え」

「大体なぁ、俺がこんなお嬢ちゃん連れてどこ行きゃいいんだよ。お前には言わねーから安心しな」

一気に後悔が押し寄せる。
背筋から頭の先を通り全身にじわじわと広がる念が、当てもなく私を急き立てる。

「………っ」

「…おう、なんだよ黙って。まぁ逃げる前に一発ヤッてやってもいいけどなぁ…俺のはゴツゴツして気持ちいいぞ~」

「…なんで、そんなこと……」

アサクラさんは、今まで下ネタなんて言ったことがない。どんなに危ない人と言われても、優しく、不器用に振る舞う姿が私にとっては事実だった。
悔しい。悔しくて、視界が歪む。

「………まぁいいや、もう帰るぞ」

「…え、もう帰るんですか?」

「…おう、俺は忙しいなからなぁ」

嘘だ。こんな短時間カラオケに来るだけで誘ったとは思えない。

「え、ちょっと待っ…」

「歌ありがとな、うまかったよ、ほんと」

アサクラさんはそう言うと、テーブルに一万円札を何枚か置き、一人スタスタと部屋を出ていってしまった。
整理が追いつかない私は、すぐに立ち上がることができなかった。意気地のない私がこのまま追いかけて何ができる。やっぱり一緒に行く、と抱きつくことができるのだろうか。もぬけの殻となった部屋に取り残され、未だに何も決められない。
それなのに、私の身体が自然と動き出す。このまま終わるのは嫌だった。たった数日、数時間。それでも私の知っているアサクラさんがいる。こんな風にさよならは、したくない。
私は急いで部屋を出ると、エレベーターに乗り一階の受付に向かう。そこにアサクラさんの姿はない。私は無我夢中のままフロントを走り抜け外へ出た。夜の繁華街は人が多く騒がしい。見回してもアサクラさんの姿は見つからない。半ば諦めかけたその時だった。

「キャー…ッ!」

人だかりの向こうで女性の叫び声が聞こえた。
私はすぐに声のするほうに走り寄り、人の波を掻き分けて中心となる場所へ手を伸ばす。
やっとの思いで顔を出したそこにはチンピラのような男が数人、さっきまで運転していたアサクラさんの新しい運転手と睨み合っていた。一発触発。チンピラたちは今にも飛びかかりそうな勢いで、私は思わず声を出していた。

「ちょっと……だめ…っ!!!」

唐突な女の大声に、その場にいた全員が振り返る。
運転手の男と目が合い、その男の影に隠れていたアサクラさんが顔を出した。

アサクラさんはすぐに私と目が合った。人だかりができ、どんなに大勢いても、私たち二人は確実に目が合っていた。しかし、そこにいるアサクラさんもう以前のように笑ってはくれなかった。その暗く淀んだ瞳はすぐに私から視線を逸らす。

何か、何か言わないと。
時が止まったかのように、私の世界から音が消える。

視線の先にいるアサクラさんは顔を伏せたまま。
まだ届く。今ならまだ…

「アサ…」

「おい何やってんだ、行くぞ」

アサクラさんは顔を上げると、運転手に向かってそう告げた。私の声をかき消すように、私の声を跳ね除けるように。

アサクラさんの低く鳴り響くような声に、その場にいた全員が一斉に黙り込む。チンピラも野次馬も声を失くす、別次元の恫喝だった。アサクラさんはこちらに背を向け、何一つ躊躇なく歩いていってしまう。その後を、運転手が小走りで追いかけていく。
二人があっという間に去ると、その場にいた野次馬たちがヒソヒソと話す声が聞こえてくる。

「(……こっわー…あれヤクザでしょ…)」
「(…だから治安悪いんだよなーここらへん…)」
「(…早く行こ…関わらない方がいいよ…)」

悔しい。そんなことないのに。
アサクラさんは優しいのに。

今更何を思っても、私はこの野次馬たちと一緒。
アサクラさんのことを“ヤクザ”として見ていたのは私。私が一番最低だ。

人々が方々に散っていく中、私はしばらくその場から動けなかった。アサクラさんと運転手の男の姿が見えなくなり街の音が戻ってきても、そこにいたアサクラさんの幻を見つめていた。
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