人生デザイン講座(9)幸せを「決断」する方法



●「幸せになる」=「幸せを選び取る」


ライフデザインで幸せを手に入れるコツは、唯一の正解を選ぶことではない。上手に選択する術を学ぶことにあるのだ。


選び方が下手だと、それまでの努力が全て無駄になってしまうこともある。


選び方が下手と言うのは、不正解を選んでしまうと言う意味ではなく、自分の選択に対する考え方を誤ってしまうと言う意味だ。




多くの人々が、「選択」と言うライフデザインの最重要ステップへの向き合い方を間違え、不幸せなコースへ進んでしまうのだ。





●幸せを呼び込む選択プロセス


ライフデザインの選択プロセスには、4つのステップがある。


①いくつかの選択肢を集め、生み出す

②選択肢を有力候補へと絞り込む

③選ぶ

④自分の選択に悩む



「自分の選択が正しかったのか?」と悩むわけだ。何時間、何日、何ヶ月、何十年と苦悩し続けて欲しい。

ウソウソ、冗談だ。

自分のした選択に何年間も悩む人もいる。しかし、悩むのは時間の無駄だ

本当の④つめのステップは、不要の選択肢を「断ち切り」、「前に進む」ステップだ。自分の選択を心の底から受け入れ、その選択を最大限に生かそうと考えるわけだ。


幸せな人生と豊かな未来につながる「上手な選び方」。

不幸せな人生を決定付けてしまう「下手な選び方」


この2つには、重要な違いがある。

その違いを知るため、先程の4つの選択ステップを詳しく理解しておこう。






【ステップ①】選択肢を集め、生み出す

選択肢を集めて生み出すプロセスについては、今まで説明してきた通りだ。あなた自身について深く知り、世界と関わる様々な選択肢を探り、体験のプロトタイプを作る。アイデアや人生プラン、実行可能な選択肢を生み出す。そして、「隠れた素晴らしさ」を探し出そうとする「好奇心」を持って選択肢を追求し、考えすぎずにすぐさま行動に移す。

選択肢を生み出すプロセスについて、一言だけアドバイスすれば、


・仕事観と人生観を書く

・マインドマップを描く

・3通りの冒険プランを立てる

・ライフデザインインタビューや実体験を行う


ことを心がけて欲しい。こうした選択肢を生み出すツールは、人生のどの分野にも応用できる。

(※ステップ②で説明する「選択肢の過多」の問題はあるとは言え、この段階でなるべく多くの選択肢を出そう。その分だけ良い候補の中から選べるからだ。)






【ステップ②】候補を絞り込む

選択肢が足りない。または1つもない。と感じる人もいれば、大抵の人のように選択肢が多すぎると感じる。

選択肢が少なすぎる場合は、ステップ①に立ち返り、アイディアや選択肢を見出そう。

満足できるリストが完成するまで数週間や数ヶ月かかることもあるが、それでOK。なんといっても、今デザインしようとしているのはあなたの人生なのだ。一晩で終わるわけがない。

さて、選択肢はたくさん集まっただろうか?多分、選択肢がありすぎて迷っていることだろう。


重大な決断が目の前までやってきた段階では、大抵下調べは十分に済んでいる。もちろん、全てがわかっているわけではないし、下調べをすればするほど、わかっていないことの方が多いと気づくこともある。だから間違いなく調査は役に立つ。

しかし、ポイントはそこではない。ほとんどの人にとって、選択プロセスで行き詰まってしまうのは知識の問題ではない。むしろ、選択肢の多さや、あなたと目の前の選択との関係に原因があるのだ。



その証拠として、ジャムの買い方の例がある。


意思決定を専門とするシーナ・アイエンガー教授の、「ジャム実験」は、スーパーで売られるジャムを使って行われた。


ある週、研究者は店のテーブルにキウイ、オレンジなど6種類のジャムを並べ、買い物客の行動を観察した


一週目、6種類のジャムを並べると、買い物客の40%の立ち止まって全部を試食し、およそ3人に1人、つまり買い物客全体の13%がジャムを購入した。


数週間後、同じ店、同じ時間帯で、今度は24種類のジャムを並べた。すると、買い物客の60%が足を止めた。なんと6種類のときの1.5倍の割合だ!



ところが、意外だったのはここからだ。



24種類を並べた場合、足を止めた客の3%しか購入しなかったのだ。


この実験から何がわかるだろう?


1つ目に、私たちは選択肢が大好きだと言うこと。「うわー、24種類のジャムだって?試食してみようびっくり」


2つ目に、私たちは多すぎる選択肢に対処しきれないと言うこと。「うん、多すぎて決められないなぁ…。チーズを買おう」


実際、ほとんどの人は選択肢が3〜5個くらいだとうまく選べる。それ以上になると選ぶ能力がだんだん低下し始め、選択肢が多すぎると思考停止に陥ってしまう。人間の脳はそうできているのだ。


わたしたちは選択肢に惹かれるし、現代社会では選択肢そのものがほとんど崇拝されている。

「選択肢を増やそう!」、「選択肢を残しておけば!」、「狭い視野に閉じ込められてはダメ!」

こうした考えをよく聞くし、一理あるが、何事も行すぎは危険だ。今では、ちょっとGoogle検索をするだけで、地球上のあらゆるアイディアや活動を知ることができる。

そう、ほとんどの人が選択肢の氾濫に苦しめられていると言える。



大事なのは、選択肢と言う概念の見方を変えることだ。

選択肢が多すぎるのは選択肢が全くないも同然なのだ


無数の選択肢を前にして凍り付いているならそもそも選択肢がないのと実績に変わらない。

選択肢はあなたが実際に選び、実現してこそ人生に価値をもたらすことを忘れないでほしい。


「選択肢はあればあるだけいいと思って、今まで必死で探してきたのに、今更そんなことを言うなんて」と思うかもしれない。

しかし、選択と言う点では、24種類はゼロに等しいと言うことを理解すれば、安心して次のステップに進める。



そう、「絞り込み」だ。



選択肢が多すぎるときはどうすればいいのか?



単純。いくつか消せば良い。


まず、大量の選択肢をいくつかのカテゴリーに分けてみよう。そうすれば、各カテゴリーの中で1番のものが選びやすくなるかもしれない


それでも、最終的には「選択肢が多すぎて決められない」状態に陥り、大量のジャムを取り除く必要が出てくる。どうやって?リストに線を引っ張って消せばいい。

例えば、リストに12の選択肢があるなら、7つ線で消し、残りの5つだけを別のリストに書き写して、ステップ③に進む。


こうアドバイスすると、学生やクライアントは大抵ひるむ。「選択肢を消すなんてできません!」、「消し間違えたらどうしよう…」


気持ちはよくわかる。でも、私たちは本気だ。とにかく消そう。選択肢が多すぎれば、1つもないのと同じ。だから、失うものはない。


それから、決して間違える心配も無用。私たちはこれを「ピザ中華効果」と呼んでいる。誰でも次のような経験のあるだろう。


エドがあなたのオフィスに顔を出し、こういう。


「ポーラ、今からみんなでランチに行くんだけど、一緒にどう?」

「行く行く!」

「ピザか中華かで迷っているんだけど、希望はある?」

「どっちでもOK!」

「よし、じゃぁピザにしよう」

「いや、ちょっと待って。やっぱり中華がいい!」


この場合、最初に「どっちでもOK」と答えた時は、本当にそう思っていた。望まない決断が既成事実になるまでは、どちらがいいと思わなかったのだ。しかし、選択が下されて初めて、自分の本当の希望に気づいたわけだ。

だから選択肢を削っても、失うものはない。間違った選択肢を消しても、後できっと気づく。だから、どうかあなた自身を信じてほしい。

さて、五つに絞ったとする。その五つの中からどれを選べばいいのかわからないとしたら、次のふたつの理由のどちらかを疑ってみて欲しい。最もよくある理由は、まだ残りの七つの選択肢に未練があるから。この場合、どんな手を使ってでも候補を五つに絞ろう。

理由は、5つの選択肢どうしに優劣や大きな差が見出せず1つを選べずにいるから。だとしたら、勝ったも同然だ!常に必勝の手札が揃っているわけだから。


つまり、どの選択肢を選んでも実質的な差はなく、あなたにとっては戦略的な価値があるということだ。どれを選んでも勝ちなので、後は他の要因で選べば良い(「通勤が楽」「会社のロゴがオシャレ」「会話のネタになる」など)。

大事なのは、とにかくひとつジャムを買って店を出ることなのだ。



【ステップ③】判断力を総動員して選ぶ

さて、選択肢を集め、絞り込むと言う準備作業は終わった。ここからが正念場だ。実際に「選ぶ」と言う作業だ。上手に選ぶには、人間が選択をしているときの脳の仕組みを理解しておく必要がある

・正しい選択はどうやってなされるのか?

・人間はそれが正しい選択だとどう判断するのか?


幸い、現代では脳の研究がかつてないほど進んでおり、人間の執行、記憶、判断のメカニズムがどんどん解明されつつある。1990年、ジョンメイヤーとピーターサロベイが「心の知能指数」と言う概念を提唱する画期的な学術論文を記し、


成功と幸せを実現する上で、「EQ」が認知の知能指数である「IQ」と同じ位、場合によってはそれ以上に、重要であると主張した。


1995年、「ニューヨーク・タイムズ」紙のライターのダニエルボールマンが著書「EQ」で概念をわかりやすく紹介すると、文化的なブームが巻き起こった。「心の知能指数」と言う言葉は、誰でも聞いたことがあるし、ある程度は認めている概念だが、その本当の意味を理解している人々はかなり少ないし、その意味を学び、生かしている人々はもっと少ない。。

人間が最善の選択をするのに役立っている脳の部分は、大脳基底核にあることが判明している。

大脳基底核は原始的な脳の基礎部分にあるので、言語中枢とは結ついておらず、言葉ではなく感覚で情報伝達を行う。

古き良き「直感」と言うやつだ。

人間の脳の中で、この機能の情報源となる記憶のことを、ゴールマンは「感情の知恵」と呼んでいる。

つまり、今まで何がうまくいって何がうまくいかなかったかと言う人生経験の集合体のことであり、私たちがある判断を評価するときに参考にするものである。こうして、私たちの知恵は、感情(感覚)及び本の(肉体的、直感的反応)と言う形で利用できるようになる。

したがって、適切な判断を下すためには、選択肢に対する感覚や直感を生かす必要があるのだ。

判断に行き詰まると、私たちは真っ先にこう反応する。「もっと情報が必要だ!」しかし今までの説明で、本当に必要なのは良い情報ではないとわかる


どうすれば正しい判断ができるだろう?」と悩み、しきりに私たちに話しかけてくるうるさい脳こそが、直感的な判断を妨げているのだ。


もちろん、良質な情報を手に入れることがとても大事だ。充分の下調べ、記録、スプレッドシートの作成、企画、専門家との会話等等はどれも重要だ。

ただし、ひとたび符号化、一覧、分類と言う実行機能を担当する脳の前頭前皮質がその作業を終えたら、先ほど説明した知恵の中枢へとアクセスする必要がある。

自分の情報に基づく感情的な「知」は、より良い選択を見極める助けになるからだ。


私たちの考える判断力とは、2つ以上の「知る」手段を用いて判断を下す能力だ。

主に使われるのは認知的な「知」だ。これは客観的で、体系的で、情報に基づく「知」であり、学校の成績表でAがもらえるタイプの「知」のことだ。


手段はそれだけではない。直感的、霊感的、情動的な「知」もある。

加えて、社会的な「知」肉体的な「知」もある。

デイヴの友人で、驚くほど優秀なあるセラピストは、目の前のクライアントにとって重要な問題にたどり着きそうになると、必ずピンときた。左膝が疼くからだ。どうして左膝なのかわからなかったが、長年の注意深い治療を通じて、左膝の声に全幅の信頼を置くようになった。そういう「認識」を得たことで、彼女がより的確な判断を下し、よりクライアントの役に立てるようになった。

ステップ③のキーポイントは、2つ以上の「知る」手段を用いて、賢明な判断を下すこと。認知的な判断だけに頼ってはいけない。認知的な判断は情報を下にしているか、それだけではあまりあてにならない。もちろん、感情的な判断だけに頼るべきだとは言っていない感情に従ってトラブルを招いてしまう例はごまんとある(ただし、それはふつう衝動的な感情であり、まったくの別物だ)。

だから、「頭のかわりに心や直感を使いなさい)と言うつもりはない。ただ、あなたが持っているあらゆる判断力を総動員し、感情的または直感的な「知」を生かす余地を作ることをお勧めしたい。そう、あなたの膝、あなたの直感、あなたの心の声を聞くことを忘れてはいけないのだ。そのためには、感情的、直感的、霊感的(呼び方はどうでもいいのだが) に「知る」能力を磨き、成熟させていく必要がある。

何世紀からも前から、そういう能力を成熟させる手段としてジャーナリング、日記付、祈り、精神修行、瞑想、ヨガ、太極拳などの自己鍛錬が推奨されてきた。

そうした自己鍛錬の習慣の築き方について説明するスペースはないし、私たちがその専門家をなのでつもりもないが、ぜひあなたも試すことをお勧めする。

自己鍛錬があなたの最高の知恵を引き出し、正しい判断を見極めるのに有効な理由は、まさにそうした洞察の性質と関係がある。感情的、直感的、霊感的な「知」は、たいてい繊細で、物静かで、ときには引っ込み思案だ。

締め切り前の数時間で慌てて考えたり、たくさん話をしたり、ネットを検索したりするだけでは、あなたの奥深くに隠れている知恵は滅多に顔を出してくれない。自己鍛錬と言うのは、文字通り鍛錬だ。

私たちは2人とも日常的に自己鍛錬励んでいる。特に大学のオフシーズンなど仕事のプレッシャーがなく、ひたすら体力とバランスを手に入れるための鍛錬に集中できる時間には没頭する。

自己鍛錬を通じて自分を成長させる最高のタイミングは、ストレスがかかり、結果が生まれる「決戦」の時期ではない。

その点、意思決定はストレスがかかるので、上手な選択の能力を鍛える絶好のタイミングは、重要な選択が目の前にいない時期だ。

こういう時期にこそ、心の知能指数や精神を磨くことに専念できる。そうすれば、いざ決断や試合の時間がやってきた時、判断力の筋肉が既に強く鍛え上げられているはずだ。

ステップ③に備える最適な時期は、選択の数ヶ月から数年前だ。そう、その最適な時期はもう来ている。ぜひ今日から未来への投資を始めよう。ここで、あなたの「感情の知恵」を引き出す具体的な手法を1つ紹介しよう「グロク」と言う方だ


作家のロバート・ハインラインは1960年代の傑作SF小説「異星の客」で、火星人が用いている「知る」手段をさして、「グログ」と言う造語を生みだした。「グログ」とは、「自分が一体感を感じる位まで何かを心の底から完璧に理解する」と言う意味だ。

火星人とって水はとても貴重なので、火星人はただの水とは何かを理解したり、水を飲んだりするのではなく、水をグロクする。

今や「グロク」という単語は日常語にもなった。

さて、選択肢を絞り込み、頭で問題を評価し、心や霊感を使って選択肢を検討したら、いよいよ「グロク」する番だ。

選択肢をグロクするには、頭で考えてはいけない。その選択と「一体化」しよう。

例えば、3つの選択肢があるとする。ひとつ(選択肢A)を選んで、まず思考をストップする。そして、それから1〜3週間、想像の中で選択肢を選んだ人間になってるな。選択肢Aが今あなたの現実。朝に歯を磨く時も、選択肢を選んだつもりで磨く。赤信号で止まるなら、選択肢Aの人生に関連する目的地へと向かうつもりで待つ。他の人への話までそれに合わせる必要は必ずしもない。例えば、「そうそう、五月に北京に引っ越すことになった!」と言えば、後々トラブルになるだろう。

要するに、想像の中だけで、選択肢Aと言う現実の中の人間になりきるわけだ。現実と言う視点から選択肢Aについて考えるのではなく、密かに選択肢Aを選んだ人間として暮らすということだ。


1〜3日間がたったら(期間はあなたの自由)、ふだんどおりの自分に戻って リセットするため、最低でも一日か二日の休息をとろう。

そうしたら、次は選択肢B。またリセット休憩をとり、次は選択肢C。もう一度リセット休憩をとり、最後にいままでの自信の体験を振り返り、どの人間にいちばんなりたいかを考える。

この手法は絶対確実ではないが(確実な手法など存在しない)目的はさまざまな形の「知」(感情的、霊感的、社会的、直感的な「知」)を活かす余地を設けることだ。そうすることで、ほとんどのひとが思考や選択の頼りにする分析的で認知的な「知」を補うことができるからだ。


「断ち切る」ステップについて説明する前に、ステップ④が「悩む」でない理由について簡単に説明しておきたい。「悩む」と言うのはこんな感じだ。

・「これで正しかったのかな?」

・「本当にこれが最善の判断なのだろうか?」

・「もし第四の選択肢を選んでいたら?」

・「やり直しがきくのか?」

何の話かわからないとしたら、あなたは類まれなる幸運の持ち主だ。素晴らしい脳のDNAを与えてくれた両親に感謝して、先に進んで欲しい。

でも、ほとんどの人はこういう悩みに心当たりがあると思う。

私たちが「最後のステップは、自分の下した決断について何度も何度も悩むことです」と言うと、「ふ〜む」という納得の声があちこちから聞こえてくる。この声は、何か決断を下すときの人類の共通体験の証なのだ。私たちが苦悩するのは、自分自身や他人の人生を真剣に思っているからだ

「この決断は重要だ。成功のチャンスをなるべく高めたい」

誰しも正しい判断を下したいのだが、当然、その判断が正しかったのかどうかはすぐにはわからない。未知の要素はいつでも転がっているし、誰も未来を正確に予測することなんてできない。


では、この決断をの苦悩を乗り越えるには?

実は、決断に対する考え方は、下す決断そのものと同じくらい重要だ。


一見すると、最善の選択を行うことが、自分の選択に満足するいちばんの近道のように見える。実に単純な話だ。


そんな事は不可能である点を除けば。


「最善の選択」をすることなんて無理だ。すべての結果が出揃うまで、何が最善の選択だったのかなど知りようがないからだ。


今わかっている事の範囲内で、なるべく最善の選択をする事ならできるが、目標が「最善の選択をする」ことだとしたら、成功したかどうかは知り得ない


知りえないからこそ、いつまでも「正しい選択だったのか」と悩み、選ばれなかった選択肢を蒸し返してしまう。


これが「悩み」の正体だ。


そして、いつまでも過去を蒸し返すと、自分が下した選択への不満ばかりが募り、自分の選択に従って生き生きと前に進むことができなくなる。ハーバード大学のダン・ギルバードは、モネの複製版画に関する意思決定を評価する研究で、選択肢を「質」ことの効果を実証した。


は、モネの複製版画に関する意思決定を評価する研究で、選択肢を「断ち切る」ことの効果を実証した。

彼は被験者にモネの絵を一位から五位まで好きな順に並べてもらった。実験者は、「たまたま3位と四位の絵が余っているので、どちらか一枚をどうぞお持ち帰りください」と被験者に伝えた。当然、ほとんどの人は三位と評価した方を持ち帰った。

面白いのはここからだ。

実験者は一部の被験者に、「よければ後でもう1枚のほうの絵と交換することもできます」と伝えた。

残りの被験者には、「これが最終決定で後から交換はできない」と伝えた。


数週間後、実験者は被験者にもう一度調査を行った。


交換できると言われた被験者は、たとえ交換しなかったとしても、同じ絵を選んだが交換はできないと言われた人と比べ、自分の選択への満足度が低かった


つまり、とり消しがきく事は、必ずしも自分の決断への満足にはつながらないと言うことだ。



どうやら、自分の決断を考え直し、「選択肢を残しておく」機会を与えられただけで、私たちは疑心暗鬼になり、自分の選択を低く評価してしまうようだ。



もっと悪いニュースもある。研究者のバリー・シュワルツは、著書「なぜ選ぶたびに後悔するのか」で、この意地悪な脳の仕組みについて、さらに深く突っ込んでいる。多くの選択肢の中から決断すると、または他にも未知の選択肢がたくさんあると知りつつ決断しただけでも、自分の選択に対する満足度が下がるのだという。


ここで問題になるのは、目の前にあって選ばなかった選択肢、つまり「残してある」選択肢だけでなく、調べる時間すらない山のような選択肢なのである。本当は素晴らしいかもしれないのに選べなかった選択肢が無数にあると知っただけで、途端に自分の選択に満足できなくなる。


それが具体的にどういう選択肢なのかわからなくても「世の中にはもっと良い選択肢があって、見逃しているに違いない」と感じ始める。


インターネットが作り出すグローバル化した世界では、いつでも無数の選択肢がある。そう、現代人は過去のどの世代と比べても、自分の選択に不満を持ちやすいと言える。


ではどうすればいいのか?

忘れないでほしい。想像上の選択肢は実在しないも当然なのだ。そもそも選べないからだ。


私たちは空想の人生を送ろうとしてるわけではない。


実際に生きられる現実の人生をデザインしようとしている。


「最善の選択」をするべく、あらゆる情報を集め、選択肢を残らず探そうとすれば、いつまでも決められなくなってしまう。




ライフデザインでは、無数の可能性があることを知りつつも、その事実に惑わされたりはしない。




いくつかの可能性を探ったら、まずはひとつの選択肢を選んで行動をとるのだ。


行動をとってこそ、前進の道を築ける。


不要な選択肢を「断ち切る」のが上手になればなるほど、道を築くのが上手になっていく。


そして、あなたが今ある選択肢を見出せたのと同じように、この先いつまでも選択肢が絶える事はないと言う自信も得られる


これこそが、幸せを選び取り、自分の選択に満足するコツだ。もし疑心暗鬼になったら…迷いを断ち切り、前に進もう。


それだけのこと。シンプルだ。

別の道を見なかったふりをしろとか、道の途中で別の道を見つけても、引き返して方向転換をしたりしてはいけない、とは言っていない。私たちが言いたいのは、賢い進み方があると言うこと。そのコツさえ身に付ければ、選んだ道を上手く進み、幸せで満足した旅をする能力がぐっと増すだろう。

なので、一旦たくさんの選択肢を見出したら、あなたの手に負える数「5つ以内」までリストを削ろう。次に、時間と資源の許す範囲内で最善の選択をし、その選択を受け入れ、前進の道を築く。プロトタイプを作りながら一歩ずつ進めば、リスクを抑えられるし、本気で走り出す前に、その都度方向転換をしていくことができる。


一旦選択を下したら、後ろを振り返らないこと。苦悩につながりそうな疑問が頭に浮かびそうになったとしても、疑問を振り切り、あなたの選んだ人生をうまく生きることにエネルギーを注ぐ。もちろん、前に進みながらも周囲に目を向け、新しい物事を学んでいく事は大事だが、公開と言う名のバックミラーばかりを見つめていてはいけない。この「断ち切る」ステップは、あなた自身の自制心にかかっている。ここで説明した意思決定の新しい見方をいつも胸に止め、つい加工を蒸し返したくなった時は、もう1人の自分を今仮装。


一旦洗濯を下したら、後ろを振り返らないこと。苦悩につながりそうな疑問が頭に浮かびそうになったとしても、疑問を振り切り、あなたの選んだ人生をうまく生きることにエネルギーを注ぐ。

もちろん、前に進みながらも周囲に目を向け、新しい物事を学んでいく事は大事だが、後悔と言う名のバックミラーばかりを見つめていてはいけない。この「断ち切る」ステップは、あなた自身の自制心にかかっている。ここで説明した意思決定の新しい見方をいつも胸に留め、つい過去を蒸し返したくなった時は、もう一人の自分を言い負かそう。



また、自分で選んだ選択を守り抜くための支えもあると良い。例えば、


・あなたがその道を選んだ理由を思い出させてくれる協力者やチームを見つける

・あなたが決断した経緯を日記に書き記し、迷いが生じたときに読み返す


など。あなたの選んだ道を存分に楽しめるよう、あなたに合った方法を見つけて欲しい。




【行き詰まり思考】→  幸せとはすべてを手に入れること。

【人生デザイン思考】→  幸せとは不要なものを作ること。



●人生の岐路で決断し、心から納得するには?

アンジーはメディカルスクールへの進学を控える優秀な学生だった。といっても、彼が本当に興味を持っていたのは、公衆衛生や医療技術型の企業だった。


アンディは将来について2つのアイディアとひとつの予備プランを立てていた。どれもが医療の改革と言う1つの壮大な目標と結びついていた。

アンディーは、医療分野が経済に及ぼしている過剰な負担を減らし、金持ちだけでなくすべての人々に医療を行き渡らせるためには、予防治療や健康管理を大きく充実させ、医療システムを大改革する必要があると考えていた。医療に最も効果的に影響及ぼす方法は次の2つだと彼は考えた。

を行き渡らせるためには、予防治療や健康管理を大きく充実させ、医療システムを大改革する必要があると考えていた。医療に最も効果的に影響及ぼす方法は次の2つだと彼は考えた。

医療に関する有力な公共政策アドバイザーになる

医療技術型の起業家になる

政府や公共部門で働くと言うアイデアは、彼の友人たちの間では不評だったが、アンディは医療の巨大なハンドルをコントロールできる人物にならない限り、大きな変革は起こせないと考えていた。医療技術に関して言えば、この分野はサマーズ勢いで進化していた。新しい医療技術を開発すれば、もっと早く医療誤解の行動を変えられるかもしれない。医療技術は政治だけでなく市場のスピードで動いているからだ。

彼の呼びプランと言うのは「単なる医師になること」だった。医師がアメリカ社会。特に彼のアジア系の親戚たち、の間でどれだけ尊敬されているかを考えると、おかしな表現に聞こえる。でも、それが彼の本音だった。彼は決して医師を見下していたわけではない。単に正直だったのだ。彼の予備プランは、社会に大きな影響与える方法が見つからず

もう少し小さな舞台で活躍せざるをえなくなったときのための「保険」だった。

1人の医師としても、日々の医療の中で、うまくいけば地元の病院や地域全体の中で、影響を及ぼせるかもしれない。もしかすると、より良い医療の模範を示すことにもつながるかもしれない。

さて、どの道を選ぼう?実際のところ、アンディにとってそれは難しい選択ではなかった。彼は制作アドバイザーを目指すのが1番影響力もあって楽しい道だと確信していたので、その道を聞く気で満々だった。

その道を聞く気満々だった。

問題はその方法だった。大学を卒業したらそのまま公衆衛生分野の修士課程に進み、その後政界に直行するのがいいか?まずはメディカルスクールに進学してMD (医学士号)を取り、次に公衆衛生の学位を取るのがいいか?アンディは、医療業界でMDが尊敬されており、彼らの医学的助言はMDを持たない人よりずっと重みがあることを知っていた。正直、MDをとったからといってその分優秀な政策立案者になれるとは思わなかったが、どうしても世界を変えたかったし、自分の主張の信憑性を高めるためなら8から10年(MDの取得に余念、研修医から免許取得まで4から6年)を捧げても惜しくなかった。彼にとっては難しい判断だった。10年間は、本当にやりたいことを始めるまでの待ち時間としては、かなり長く感じた。

取得に余念、研修医から免許取得まで4から6年)を捧げても惜しくなかった。彼にとっては難しい判断だった。10年間は、本当にやりたいことを始めるまでの待ち時間としては、かなり長く感じた。

アンディは頭の中で「ああでもないこうでもない」と考え続け、はっきりとした選択ができずにいた。今すぐ公衆衛生の学位を取ると決めれば、「でも…みんなが僕の意見を聞いてくれなければ、せっかく学位をとっても無駄になってしまう」と思うだろう。メディカルスクールに進学すると決めれば、「でも… 10年末なんて長すぎる。その間に何が起こるか分からないし」と思うだろう。彼の思考は堂々巡りを続けた。彼曰く、脳がハムスターの回し車のように一晩中から笑と回り続けている感覚だった。そこで、アンディは一旦思考をストップし、「グロク」してみた。メディカルスクールに通う人公衆衛生を学ぶアンディ。しっくりくるのはどっち?

すると、メディカルスクールの方がしっくりときた。医師を目指す男になりきって歩いている間、10年間への不安が頭をよぎった。でも、アンディーはすぐに後考え直した。「確かに、10年間は長い。でも、医療に影響を及ぼすと言う目標に向かって全速力でかけている気がする。目標の実現に備えて、できる限りのことをしている気分だ。10年後も医療の問題はまだ山積だろう。だから、努力が無駄になる事は無い。最善を尽くさなければ、自分で自分が許せないと思う」


一方、公衆衛生を学ぶアンディは、「もし私でない僕の意見を誰も聞いてくれなかったら?」と言う疑問にうまく答えられなかった。そう考えると、惨めな気分になるばかりだった。こうして、彼はメディカルスクールに進学し、医師になるために10年間を捧げることを選んだ。すべては信頼できる政策立案者になるために。オーケー選択は終わった。めでたしめでたし。

本当に?いや、まだだ。


3時にはステップ④過去を断ち切り、前に進むプロセスが残っていた。私たちがなぜ「断ち切る」と言う名前をつけたのか、彼はすぐに理解した。過去を断ち切るコツは、前に進むこと。「質」と言う行為は、単独ではものすごく難しい。不可能だと言う人もいるだろう。例えば、今から、青い馬の事だけは想像しないでほしい。何が何でも、青い馬の事だけは考えてもを3時にはステップ④過去を断ち切り、前に進むプロセスが残っていた。私たちがなぜ「断ち切る」と言う名前をつけたのか、彼はすぐに理解した。過去を断ち切るコツは、前に進むこと。「質」と言う行為は、単独ではものすごく難しい。不可能だと言う人もいるだろう。例えば、今から、青い馬の事だけは想像しないでほしい。何が何でも、青い馬の事だけは考えてもを思い浮かべてはいけな思い浮かべてはいけない。ハワイまたなもの行がある旨でも、青いユニコーンでも、赤白ストライプの蔵ハワイまたなもの行がある旨でも、青いユニコーンでも、赤白ストライプの蔵をのせ鞍をのせ、尾にピンクのリボンを結んで青いポニーでもなく、青い馬。

今ピンクのリボンを結んだ青いポニーでもなく、青い馬だ。

今から1分間、青い馬だけは想像しないでほしい。オーケー。どうだっただろう。私たちが今まで教えてきた人々と同じなら、青い馬の大群が押し寄せてきただろう。これが「断ち切る」ことの難しさだ。「断ち切る」と言う行為は、何かを「する」ことと言うよりも「しない」ことであり、自然界が真空を嫌うのと同じように、脳は何かをしないことを嫌う。だから、何かを断ち切るポイントは、前に進み、別の何かを掴むことなのだ。

そう、何かに注目しないようにするのではなく、注目するわけだ。では、アンディはどうすれば「人生の貴重な10年間を無駄にしているのではないか」と言う不安や邪念を断ち切れるのか?どうすればわずか2年で公衆衛生の学位を取り、連邦議会議事堂を揺るがし、医療政策の新の第一人者になると言う輝かしいイメージを捨てられるのか?

アンディは、どこかから抜け出すには、別のどっかに入り込むしかないと気づき、こう自問した。

アンディは、どこかから抜け出すには、別のどこかに入り込むしかないと気づき、こう自問した。

「どうすれば前に進めるのか?どうすれば医者の道へと入り込めるのか?」そう考えた途端、アンディはメディカルスクールに進学すれば、「医師になる」と言う予備プランがおまけでついてくると気づいた。メディカルスクールの学生は、教育開始から数年以内に実際の医療を始め、研修医時代を全て臨床業務に捧げる。医療政策ともっとも関連のある専門家は?政府のつながりが最も強く、公衆衛生の修士課程と提携のあるメディカルスクールは? 1番ためになる医療機関は?地元の診療所?大学院?小都市?大都市?

関連のある専門家は?政府のつながりが最も強く、公衆衛生の修士課程と提携のあるメディカルスクールは? 1番ためになる医療機関は?地元の診療所?大学院?笑歳?大都市?

医療教育の価値を受け入れ、医学教育を最大限に生かす方法を考え始めた途端、無数のアイデアや興味深い疑問が浮かんできた。

前に進む方法を想像し始めたことで、彼は脳に許しを与えた。他の選択肢を断ち切る許しを。そして、彼はメディカルスクールの学生や研修医と言う立場で、医療政策に関するライフデザインインタビューやプロトタイプ体験をする様々な方法思いついたのだ。こうして、アンディーは輝かしい学生生活を送った。


●もう、堂々巡りから抜け出そう

デザイナーは苦悩しない。「こうしていればよかった」と夢想しない。いつまでも回し車を回し続けない。

そして、もっと良い過去を想像しながら、無数にある未来の可能性を無駄にしたりはしない

ライフデザイナーは、今の自分が気づき、生きようとしている人生を冒険と捉える

それこそが「幸せを選び取る」方法なのだ。

そして、幸せ以外に一体何を選ぶ?





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