だから僕は音楽を辞めた
ヨルシカがリリースし、沢山の歌い手さんやVTuberさんがカバー。
人気の楽曲に「だから僕は音楽を辞めた」というものがある。
とても難しい歌である。
今まで「言って。」や、「ヒッチコック」等。
数々の楽曲で悲しみをアップテンポの歌唱で表現していたヨルシカ。
彼女が、楽曲の中に「怒り」を表現した作品がこの曲だ。
曲調はとても爽やかで、流れるように歌は進む。
そのどこにも棘はなく、頭の中に染み渡るようにメロディが入ってくる。
しかし、この楽曲が表しているものは「怒り」そして「悲しみ」「空虚」。
それら負の感情だ。
◇
「間違ってるんだよ、分かってないよ
あんたら『人間』も
本当も、愛も世界も優しさも人生も
どうでもいいよ」
「どうでもいいや、あんたのせいだ」
歌詞は終始誰かに対する怒りをぶつけ、とても投げやりである。
曲はこうしめられる。
「僕だって信念があった
今じゃ塵みたいな想いだ
何度でも君を書いた
売れることこそが、どうでもよかったんだ
本当だ、本当なんだ。
昔はそうだった」
「だから僕は、音楽を辞めた」
この曲の意味を「共感」出来る人は、実はそれ程いないのではないか。
私はそう思う。
この曲は、作詞者の「曲」に対する「怒り」そして「愛」
つまり愛と裏返しの憎しみを歌っているからだ。
◇
何事も、始めた頃は輝いている。
私が小説を書き始めた頃もそうだった。
私は小説で何かを変えられると思っていた。
自分までもを救えると思っていた。
しかし、それはただの理想、夢想であり。
変えられるものは何もなく。
世界は圧倒的に何もかもに対して無関心である。
「売れることこそがどうでもよかったんだ」
歌詞の中で、ヨルシカは確認するようにこう歌う。
そう、売れることなどどうでも良かった。
それがいつしか読んでもらいたい。
広まってもらいたい。
売れて欲しい。
何もかものベクトルがそう置き換わってしまっていた。
私もそうだった。
そうだったんだ。
◇
何も悪くない。
悪いのは、変わってしまった自分。
変わらざるを得なかった自分だ。
なら、この怒りをどこにぶつければいいのか。
この歌は、その行き場のない怒りを「歌」という本質。
つまり、自分自身にぶつけているのだ。
「だから」この歌の「僕」は「音楽を辞めた」のである。
辞めざるを得なかった。
そうでなければ、曲がり切った自分がもう戻れないから。
間違い続けたベクトルは、もう修正不可能だから。
だから辞めてしまったのだ。
何よりも好きで、何よりも大切な「もの」を。
怒りと、空虚と、そして憎しみを諦めきれない心で包んで。
◇
沢山のカバーをしている方々がいる。
その全員が、この行き場のない憎しみを理解している……。
とは、私は思わないのだけれど。
ヨルシカのこの歌唱が、沢山の人の心を動かしていることは確かだ。
そして動かされた人達が、沢山のカバー動画を出している。
明るい歌か、昏い歌か。
そう考えると、この歌は「昏い歌」である。
でも私は、その怒りを表すメロディを美しいと感じる。
剥き出しの感情は、時に人の心を大きく揺さぶるものだ。
音楽を辞めたからと言って何も解決はしないだろう。
私だって、小説を書くのを辞めたって何も解決はしない。
ただ、時間は空虚に過ぎていくだけだ。
しかしその心を遺すこと。
心を表現すること自体がアートになることもある。
そのアートが、とても美しいときもあるのだ、と私は思う。
◇
オススメの「だから僕は音楽を辞めた」のカバー動画を数点紹介。
アカペラグループ「Groovy groove」の方のカバー。
男女ペアのアカペラで奏でられるメロディは、本家とはまた違う趣がある。
こちらは「天月」さんの男声カバー。
優しい言葉で紡がれる表現も、また一つの道なのだろう。
こちらはVTuberの「遠野莉緒奈」さんのカバー。
若い感性で、綺麗な声で歌われる歌唱。
そこには、怒りというよりも「諦め」、それ以上の「希望」が感じられる。
それも間違いではない。
美麗なカバーだと思います。
遠野莉緒奈さんには、少し前に私のFF14内イベントにご出演いただいた。
トークイベントを、MMOゲーム内で行うというものだ。
しっかりとした受け答えが素晴らしいVTuberさんである。
歌唱にも力を入れているそうで、個人的に応援している。
参考記事はこちらだ。
FF14をプレイしていない方には馴染みが薄い内容かもしれない。
しかし是非、良ければチェックしてみていただきたい。