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比較神話学ってそもそも何ぞや?

前回のnote、「個人的にやりたいと思っていること」の話題の一つであった「比較神話学」ですがそもそも比較神話学と言われても、どんなものか分からない方もいらっしゃると思いますので、ちょっとお話して行こうと思います。

世界中には色々、それこそ民族ごと、国ごとの神話があります。

日本なら「古事記」、「日本書紀」。或いはギリシャ・ローマ神話や北欧神話ならば『聖闘士星矢』や『ファイナルファンタジー』、『ラグナロクオンライン』、『ヴァルキリープロファイル』ここら辺の漫画やゲームを通して既に20〜30年前にはかなり人口に膾炙していたのでは無いでしょうか?

ビックリマンチョコやデジモンなどのキャラクターのモティーフにもなってますよね。

さて、こう言ったキャラクターたち、つまり神仏や妖精、モンスター、伝説上の人物が織りなす寓話(アレゴリー)が神話であると言うことまでは前回にお伝えしたと思いますが、

これらの寓話には、違う言語や民族ごとでも、根底では同じテーマや同じパターン・ジャンルのストーリーを扱っている場合があります。

そこから、

異言語・異民族或いは「異時代」の神話を比較することにより、その神話のテーマの共通性やかたちの変遷を明らかにする学問

それが比較神話学です。

比較神話学のあゆみ

童話作家であるグリム兄弟が実は印欧語族の比較言語学でも重要なグリムの法則を見つけた言語学者でもある事は言語学徒や言語クラスタの皆さんにはよく知られている事実でしょうが、

印欧語族と言う同系統諸言語のグループの発見比較神話学のあゆみにおいてもかなり重要なエポックになっています。

と言うのは、この比較言語学の手段が、ヨーロッパ・インド・中東の一部における言語の系統を明らかにしていく事で、

今までキリスト教信仰などに埋もれて、古代の寓話や歌劇・叙事詩のモティーフとしてしか見て来られなかった神話に脚光が集まり、これらにも共通のルーツがあるのでは無いか、と言う展開を見せる事となったのです。

そこから、実際に

Deva(デーヴァ/サンスクリット語):Deus(デウス/ラテン語)

Surya(スーリヤ/サンスクリット語):Sol(ソル/ラテン語)

などの共通語彙が見つかると、

神話のテーマ・ストーリーの中でも共通性があるものが整理され、まとめられる様になりました。

例えば、ギリシャ神話でゼウスがテュポーンを倒したり、ヘラクレスがヒュドラを倒すモティーフは北欧神話ならばシグルドがファフニールを倒すモティーフ、

インド神話ならばインドラがヴリトラを倒すモティーフと共通している...と言う具合にです。

更にかつて教科書上では四大文明と纏められたエジプト・メソポタミア・インダス・黄河のうち前3者においては、実際に印欧語とアフロ・アジア語(イスラエルのヘブライ語やアラビア語などのセム語とエジプト語など北部〜東部アフリカの幾つかの語派に属する諸言語)の話者が接触していた事実や神話の類似性から、特にセム語話者の例えばバアル(雷神)のヤム(海神)退治やマルドゥクのティアマト退治などに関しては、なんらかの借用・被借用関係にある同系統の神話では?

と言われる様になりました。

また、印欧語に属さない言語においても、文化人類学の発展により、クロード・レヴィ=ストロースなどの学者が非西洋文明圏の社会や習俗、神話を分析する過程で収集され、同型と見られる神話の幾つかは〇〇型神話と言う分類名で呼ばれる事となります。

レヴィ=ストロースに影響を与えた事で有名なジョルジュ・デュメジルも比較神話学者ですね。

非印欧系で例えば有名なのが、

「ハイヌヴェレ型神話」ですね。

ハイヌヴェレ型神話とは...

・主に女性が体内から(排泄などの手段によって)宝物、穀物や芋を生み出す力を持っている

・彼女は気前良くそれを村人や神に配る

・村人や神はそれを気色悪がって生き埋めや斬殺などの手段で殺す

・彼女の死体からは彼女が排泄していた類の食べ物や宝物が発生して豊穣の起源となる。

と言った形の神話です。

主に食べ物は芋が多く、アフリカ、東南アジア、南北アメリカなどの芋を栽培する原始農耕民にこの形の神話が多いと言われます。

日本神話においては月読命 或いは 須佐之男命が大宜津比売(オオゲツヒメ)を斬殺し、そこから五穀や蚕が生じると言う形で出現しており、これは南方系の芋を常食していた人々が稲作化して日本列島に到達する事でそれが稲作とともに縄文人・弥生人に伝播し日本に伝わった神話では無いか?

と言われています。

この様に印欧語話者以外でも神話類形の比較によってある程度の成果が提示されたんですね。

次の段階へ向かおうとしている比較神話学

しかし、この手法には異論もあったんですね。

今は否定されているんですが、そもそもジョーゼフ・キャンベルモノミス(Mono-Myth/一つの神話)理論の様に、所詮神話の本質とは「ヒーロー/ヒロイン(主人公)の紆余曲折のライフサイクルの使い回しや派生にすぎない、だから離れた場所における神話の普遍性に囚われるな」と言う意見も昔からあります。

ちょっと分かりにくいので噛み砕いて言えば、

日本人Aとイギリス人Aと言う男性がいるとして、
彼らが高校入学と言う事件を元に、
同学との友情や不良との反発を元に生徒会を運営、
卒業後そのリーダーシップで会社のニューカマーとして活躍...と言う共通の経験を辿った

としてもそれは近代の日本と西欧の社会と男性の前半生のライフイベントが類似しているだけで、

日本人とイギリス人の系統には全く関係がないですよね。

この様に神話上のヒーローも汎的に存在し得る人生のテーマやイベントを切りはりしただけでそれに系統を作るのは無意味だ...

と言う指摘も、まぁ科学性がない訳ではありません。

事実、前のnoteでも書いた通り、ギリシャ神話のヒュドラ退治と日本神話の八岐大蛇退治では言語にしろ人種にしろ隔てられた距離が広すぎて、その系統関係が旧来では不明なまま、もしくは「(借用に次ぐ借用や前述の汎世界的な定型による)偶然の一致」とされてきた訳ですから。

しかし、2000年ごろからパラダイム・シフト(認識の革命的な転換)が起こります。

ヒトゲノムの解析により、男性の持つY-DNAや女性の持つミトコンドリアDNA(mtDNA)の構成(ハプロタイプ)によって、人類の遺伝子の分子生物学的分類(ハプログループ)により集団(クラスタ)化する事が出来るようになり、

また考古学的には原始・古代人骨からのDNA採取により、その系統が発生した絶対年代や場所、拡散経路が推定出来る様になったのです。

言語学からの神話の系統推定は言わば比較というサイエンスの地盤となる初期段階でした。

ですが、古代文明・文化圏からの出土物の系統・編年分析、そしてDNAと言う系統の確定手段を得たことによって、より正確に、精密に神話が拡散する経緯を推定する手段を得たのです。

これは比較神話学の系統分類的側面と言う部分に科学の光が大きくあたった出来事なのです。

日本神話の八岐大蛇退治は印欧神話の蛇退治の子孫か

その結果、弥生土器とともに青銅器を遼河近辺まで持ち込んだ集団が、中央アジア方面から来た事が分かり、

また縄文人や弥生人に接触したこの集団の持つ青銅器が、中央アジアからチベットや内モンゴル方面から中国に伝来した青銅器製錬技術とは、年代・系統的に離れている事が分かりました。

実際、中国では「剣」の神話は殷周の建国伝説以降にしか現れず、特にモンスターを剣で斬り殺す様な「斬蛇剣」タイプの神話は史実として文書に残る時代にあたる漢の高祖・劉邦以降、かなり遅く稗史(私的な歴史書)の一部にしか登場しません。

これは剣という武器が中国文明全体を見ると、北方の遊牧世界から渡来した比較的新しい武器であり、殷周の頃の戦車戦では未だ「矛や戟」の方が基本的な武器であると言う事実に立脚しています。

しかし、対して我々の祖先である縄文人や弥生人は遼河方面の集団から朝鮮半島を経由し、直接、中央アジアのタイプに近い銅矛・銅剣の類を学び取る事により、それと同時に印欧語話者や中央アジアの集団が持っていた古いタイプの剣に関する共同幻想(集団が共有する幻想的認識)を直輸入する事となった訳です。

この様な手法による推定ならば、八岐大蛇神話が漢民族には似た形で存在せず、逆にモンゴルやインドなどに似た形で存在する意義が科学的に推論できます。

考古学的発見とゲノムサイエンス的な拡散経路と神話の分布を学際的に比較検討できるからですね。

まとめ

この様に今、比較神話学は自然科学分野や考古学の発展により第二、第三の段階に進みつつあり、科学的な裏付けも含んだ非常に重厚で面白みのある学問となっています。昨今では『ホモ・サピエンス全史』などのベストセラー化によって全人類史に注目が集まっていますが、

筆者の記事で少しでも神話学にも興味を持って頂けたら、と思います。

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