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自分軸について考察

◯自分軸とは何か◯

自分軸=自分の信念や価値観を基準にして生きる
他人軸=自分よりも周囲の人の期待や価値観で生きる

いろんな表現の仕方はあるけど、
だいたいこういう風に定義されている。


〇他人軸の生き方から脱却した

私はずっと他人軸だった。
自分の意見を主張していても、
自分の希望を通していても、
それは他人ありきの反応だった。

「あなたの言うとおりにはしたくない」
「こうしたら、人からうらやましがられるかな」

だから、いつも他人の反応を気にしていた。
悟られないように機嫌をうかがっていた。

表には出していなかったから、
周りからは内心びくびくしているように
見えていなかったみたい。

20代後半から、
なんとか自分軸で生きる自分になりたくて
自己啓発セミナーに行ったり、
自分を変えるようアファメーションをしたり、
願望ノートを書いたりしたけど、
どうしても変われなかった。


だから、フルタイムで勤めていた市役所を辞めた。
それが4年前のこと。

いや、退職には他にもいろいろと理由があって、
それがどれもパンパンに膨らんで
自分の限界がきたから辞めたんだけど、
大勢の人たちに毎日囲まれていたら、
私は自分軸を手に入れられないって思ったのも
確かなんだ。

私には、
自分一人になって自分を見つめる時間がいった。


退職する前の半年間、
うつ病になって休職したことで
自分を見つめる時間ができて
他人の目を気にしないで自分がどうしたいかを
決めた結果、退職を選んだということもある。


えっ?数行前で書いたことと違わない?

って感じますか?
退職が先か、自分軸で考え始めたのが先か。
それは、今の時点から振り返ってみているから、
正直言って、どちらが先だったのかはわからない。


後付けの理屈でしかないけど、どっちもあるんだ。

自分軸で見つめ始めたから退職を選んで、
退職して常に大勢の人に囲まれない生活をして、
よりいっそう自分軸を確立していけるようになった
ってことだと思う。


〇不必要に他人の言動を気にするのも「他人軸」になるんじゃないか


2024年7月の今、振り返ると、
今年の始めくらいでもまだ
自分軸と他人軸を右往左往していたなと感じる。


それは友人の言動を見聞きして、自覚したんです。


今年の始め、私は自分軸を確立できたって
自分で思ってた。
人の目を気にせず、したいことをし、
休みたいときに休み、
気乗りしないことは断ったりフェードアウトしたり、
ネガティブな気持ちが湧き上がっても
自分で自分の機嫌を取ったりして、
気持ちの赴くまま生活していたから。


でも、人の言動は気にしてた。

私のことをどう思っているかとか、
人の顔色をうかがうとかじゃないから、
それが他人軸だって思ってなかった。


「どうして、この人は私の仕事のやり方に
 いちいちアドバイスしてくるんだろう?」
「あの人が、こういう行動をとる理由は
 なんだろう?」
「どういう心理があって、
 こういうことを言うんだろう?」

って、他人のことを気にしてたんです。

このことで私自身の機嫌が
左右されることはなかったから、
他人軸だとは思ってなかった。

ただ機嫌が左右されることはないけど、
その他人への疑問が頭と心を支配する時間は
長かった。

自分に集中できてないんだよね。
だから、他人軸だったって表現したわけなんだけど。

これが、他人軸で、
自分に集中できてなかったんだなって自覚したのは
友人の言動がキッカケだった。


少し離れて住んでいる彼女とのやりとりは
もっぱらDM。

彼女は、私のSNSを見ては
「こうしたほうがいい」とか
「〇〇っていうやり方やってないよね。
 やったほうがいい」と送ってくる。

アドバイス自体は適切なものだと思ってる。


ただ、何もこちらから相談もしてないのに、
何でいちいち私のことを考えて言ってくるんだろう?
って思ってた。

私以外の人のことも送ってくる。
文章的には悪口ほどではない軽い愚痴、
世間話の域を越えないから、
これまでは私もきっちり返事してきた。


私と同じように、
ううん、私以上に内観して、ヒーリングして、
自己愛を感じてってやってる彼女。


「自分軸で生きられるようになって、
 いろいろと良いように回りだしたわ」
って言ってる。

そんな彼女から
「あの人、こういうこと言ってくるの、残念」とか
「あの人は、いつも私を振り回してくれるのよ」
っていうのを聞いて、
多くの疑問符が私の頭の中に飛んだわけです。


自分軸で生きてたら、
「あー、そういうふうに考えるのか。私とは違うな」
くらいで終わる気がする。

少なくても、最近の私はそうで。

明らかに事実と違うことや法に反することなら、
わかってもらうために否定して説明するけど、
「受け取り方によって変わるし、1+1=2のように
 はっきりした答えってないよね」
っていうようなことは強く言わない。

状況によって伝えたり、伝えなかったりする。

相手とのコミュニケーションを
諦めてるわけじゃなくて、
単に「人それぞれで、自分にとっての正解が正解とは
限らない」から、
相手の価値観を認識するだけで十分かな、と。


私は私、人は人。

自分に必要なことや自分が間違っていたことは
受け入れる。
価値観が違うと思うことは、自分も相手も尊重する。
自分が良いと思うことは伝えるけど、
それをどう受け止めるかは相手しだい。


これが今の私が考えている「自分軸」。

そういう意味では友人の言動は、
私にとっては「他人軸」なところがあるな、と。
数か月前までの私はそうだったな、と。

そう感じています。

こういう話を友人にすると、
「そうだよ。どう受け取るかは相手しだい。
 私は自分の意見を伝えてるだけ」

そう返ってくるけど、
なら、なんで関係のない私に訴えかけてくるんだ?
って話。

楽しい話なら共有してもらって良いけど、
単なる愚痴なら、
その愚痴の対象に振り回されてるんじゃないのかな。

こんなことを書いている私も、
いまだに愚痴は言いますよ(笑)

ただ、成長したなと思えるのは
愚痴の量が一万分の一くらいに減ったこと。

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