【エッセイ】私が囚われた使命感
うちの母親の感覚はずれている。
少なくとも長女の私はそう思っている。
そして、こう思ってきた。
「私が母の変な感覚を正してあげなきゃ」
あるとき、こんな会話があった。
定年まで2年残して会社を退職した母は、バイト先を探していた。
どんな伝手があったのか知らないけれど、うどん屋のホールのバイトを見つけて面接に行っていた。
雇ってもらうことはできなかった。
断られた理由は
『即戦力が欲しいから』
だった。
母が長年していた仕事は事務。多少、窓口や来客の対応はあっただろうけど、接客業のそれとは大きく異なるだろう。
まして、飲食店なら注文の取ったり、覚えたり、レジを扱ったり、重いお盆を持って運んだりといろいろあるはず。
だから、話を聞いた時、私は、その理由なら母が断られても仕方ないと思った。断りたいがための、体のいい後付けの理由だったとしても。
それなのに、母は不満そうだった。
「即戦力って、私かって明日から働きに行けるのに」
ん?
んん?
それ本気で言ってる?
一瞬の間ができたけど、私は開いた口を動かした。
「即戦力って、そういう意味ちゃう」
正面に座った母の表情は、
「何を言ってるの、この子」
とでも言いたげだった。
こんな話を聞いたこともある。
母は私を産んだ時、生後一か月の私を連れて歩いて10分ほどのところにある駅前まで行ったらしく、
顔見知りのおじさんに「生まれて一ヶ月の赤ちゃんを連れてきたん」って驚かれた
って言っていた。
おじさんだよ。昭和の時代にすでにおじさんだった人。子育てなんて無縁そうな世代の男性に言われて、
「何を言ってんの?何があかんの?」
と思ったそう。
それは、祖母と言われる世代になっても、その考えは変わらないらしく、当時の話を聞いた私が
「生まれてすぐの赤ちゃんは免疫ないから、生後2ヶ月くらいまでは用事もないのに、無理に外に出さん方がいいらしいよ」
と言っても、
「なんで?元気やし」
と返してきて、何を言われているのかわからないといった表情だった。
往々にして、母はこういうことがある。
母の考え方がズレていたり、人からの意見や人の考え方を受け入れられなかったりするのには、それなりに理由があるのかもしれないけど、私はこれじゃいけないって思っていた。
何とか、世間の常識を伝えないと!
本人が実行するかどうかはともかく、世間はこういう風に見るねん。こう受け取るねん。それを伝えて、わからせてあげないと常識はずれでかわいそう。
そう思ってきた。
そのせいで、何度も母と口論になった。
母は母で自分の考えを否定された気になっていたんだと思う。
母が75歳を過ぎた今、母の考えを正そうとするのは止めた。
今さらっていうのもあるけど、自分が世間一般の考え方を受け入れようとしない限り、単に自分が批判されたっていう気持ちにしかならないんだってわかったから。
そして、母親とはいえ人の考え方を改めようとするなんて、私はずいぶんおこがましいヤツだったんだと気づいたから。
自分が育った環境とは違う時代や環境で育ち、自分とは違う価値観を持つ人を変えようとするなんて、私は何様なんだろう。
自分が正しいなんていう考えは傲慢極まりないことだったと、今では反省している。
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