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不登校になった友達はピアスを付けて、自分を暗に語る。「私にいい子をおしつけるな」

初投稿の次がこの記事なのはどうなんだろう(笑)
でも、私はこういうことが書きたい。

私の周りには2人、不登校を経験している友達がいる。
彼女たちは、高校時代に不登校を経験している。
高校を卒業しても仲良くしている大切な友達だ。

彼女らに共通する点はピアスを開けていることだ。
それも、1つではなく複数。耳だけじゃなくて、舌や鎖骨にも開けている。
度が過ぎているのではないか、と思ってしまうほど。
「ピアス」は「正統から外れた人」を連想させる代表的なものであると思う。学校にはしていってはいけないし、おしゃれピアスは特別な理由がない限り外さないといけない場面もある。

私は毎回、彼女たちのピアスを見るたび、彼女たちの「いい子」にしていた反動だと思ってしまう。二人ともとてもしっかり者で気がきくタイプの子で、先生のお気に入りになるタイプだ。

1人はとても善良で、頼み事を引き受けすぎてしまう子。彼女は宗教の影響で、少しでも人を助けられないと自分を責めてしまうそうだ。そして、それがとても重荷になっていることを教えてくれた。
もう一人はお金持ちの家庭の子で、他人とコミュニケーションを取るのがうまい子。でも、なぜ彼女が他人と仲良くできるかというとそれは彼女の努力に他ならない。彼女は洞察力や空気を読む能力が長けている。気にしていないよ!って、相手が気にしているかもしれないと先回りしていってくれる子だ。本当に気にしていないなら、なにも言わないだろう。

私も「優秀な子」になれなくて苦しかったけれど、ピアスをたくさん開けたりはしていない。痛そうで…(笑)
一つの理由は私はファッションにあまり興味がないからかもしれないけれど。
私の目に映る彼女たちは「いい子」になれなくて、苦しんで、その苦しみがにじみだしている。彼女たちのファッションに。
「いいこ」になれない、いう気持ちと「いいこ」にふるまうことを社会から押し付けられて、従ってしまう彼女たち。
私は2人ともすごく好きだ。でも、彼女たちは利用されやすいだろうな、と思うこともあるし、世間に振り回されすぎているんじゃない、と思うこともある。
「私はいいこじゃない」という絶望感はいつしか「なぜいい子でいないといけないのか。それで得したことなんかない」そんな風な絶望と怒りに代わっていくのではないかと思う。

だから彼女たちは自らのファッションで自分のことを語るのだ。
「私のピアスを見て。私はいい子じゃない!」


*全部私の妄言です。ほんとに彼女たちがどう思っているかは知らん。すんません。


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