読んだメモ「デザインが日本を変える 日本人の美意識を取り戻す」
今年の夏頃に買ってみて、買ってはみたけれど全然読む気が起きなくなって
暫く積ん読していた本。そしたら、この前の長距離移動中、
ふと突然に読もうと思い立って。読んでみたら、ぐっと引き込まれて一気読み。
読んでいる間中、ずっと泣きそうになりながら鼻をぐずぐずさせて読んでいて、隣に座っていたおじさんが少し困惑してた。確かに涙腺は年齢と共に弱くなってきているのだけれど何だろう。
個人的に興味があまり湧かないクルマの話だし、マツダについても名前を知っている程度で、どんな車種があるかすら知らない。そう言えばクルマ好きの人がマツダについてよく語っていたなぁ。位の前知識。読んでいた時の状況や体調感情もあるかもだけれど、
それでもぐっと引き込まれて、かなり感情を動かされた文章で、うるうるして読み終わったあとにはすっかりマツダファンになった。
それくらい前田さんの綴る文章の強さがすごい。
わたしは(少しだけ)文字はただの記号。情報を表記してゆくだけのもの。と考えていたのだけれど、そうではないんだなぁ。と。
言葉はカタチの一部である
と、文中で前田さんが書いていました。
たしかにわたしは、マツダの「魂動デザイン」という言葉を聞いて、読んで、見ただけでも何か感じるものがある。ふと足を止めてしまう。それとは別に毎日の生活で触れるたくさんの言葉で、ただ通りすぎてゆくだけのものもたくさんある。その差は何だろう?と、不思議に思いました。前田さんは「魂動」という言葉をつくるために1年以上かかった。と書いてました。1年以上かかったのは、その言葉でしっくりくるか、こないか。という部分で。
言葉のカタチに現れる、思考の深さを人って結構、感覚的に捉えてゆくことができるのかなぁ。それはテクニックや型もあると思うけれど、それ以上のもの。かなり抽象的だけれど。本能?印象?とか。DNAに刻まれている何か。とか。それがしっくりくる、こないの部分なのかな。
「魂動」と聞いて読んで、マツダのことを大してしらないわたしも何故かしっくりくる。そして何故か「あーマツダなんだなぁ。マツダぽいなぁ」とすら浅はかながら思う。その言葉の背景をイメージしてみる。で、この本読んでみて、わたしが「魂動」という言葉からイメージしたそれが、マツダの会社のスタイルとあまり差異がなかった。のが凄い。
わたしの寝ぼけた頭じゃなくてその言葉がすごい。輪郭がはっきりしていて、シャープネスをかけまくったようなカチカチの言葉だなぁ。と感じました。
私が普段、発している言葉も、きっと受け取る側は沢山の情報を拾っていて。どれだけ優しくて親切できれいで正しい言葉を使っていても、きっとその言葉から受けとられる、私の思考の全てがあって。身の程知らずな言葉を使えば、相手にはそれは何となしに伝わっているのでは。と感じたので、私が言葉を使って発してゆける、今の最大限のカタチは何かじっくりと考えてゆく事は大切だと思った。
伝えたい思いは一朝一夕ではカタチづくれない。このもの凄いスピードで過ぎてゆく毎日に私は、どれだけカタチ作れる言葉を発してゆけるのだろう?
そんなことを考えていると、周りのスピードに流されない、自分自身の思考の深度を深めていくスローな頑としたマイペースさを持っていたいなぁと思いました。
(え⁇今よりもっとマイペースになるの⁉︎と周りから引かれそうだけど)