コミュニケーションは攻撃?
「コミュニケーションは攻撃だ」という会話をした。その言葉を聞いた時に私が抱いた感情は嫌悪感。それは何故?
「攻撃をすると勝ち負けがつくから」「それは勝負」
「力でねじ伏せられるイメージがつくから」「それは暴力」
「攻撃」は「勝負」でも「暴力」でもないらしい。それを言われたところで「攻撃」という言葉に対する嫌悪感はなくならない。
私が「攻撃」に対して抱いているイメージはなんだろう?的がいてそこに狙って撃っていく。狙い定めて的にあてて倒すイメージ。一方的。破壊的。粉々に壊してしまって無くなったらそこで終わり。
コミュニケーションは?場・空気・温度・音・表情、会話だけではなく色々な要素を相手とともにブロックみたいに積み重ねてゆく作業。終わりがなくてどんどん永遠に、お互いが終わろう。と思う所までブロックの積み重ねは続く。
つまり「攻撃」に双方向なイメージが湧かない所と終わりをどこかで感じてしまうのが嫌悪感みたい。
「コミュニケーションは戦いだ」という言葉だとまた印象は違ってくるけれど。どうしても気になって文章に書いてみたのでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?