あゝ、荒野について

2021年。二十一歳の沢村新次(菅田将暉)は住む家も仕事もなく新宿の町に放り出された。かつて振り込め詐欺に手を染めていた新次は、仲間の裕二(山田裕貴)のだまし討ちに遭い、三年ぶりに少年院から出てきたばかり。しかしもはやそこに彼の居場所はなかった。それどころか、復讐するべく裕二の元に殴り込んだ新次は、プロボクサーとしてデビューしたばかりの裕二から逆に強烈な一撃をくらってしまう。倒れかけた新次に助けの手を差しのべたのはたまたま居合わせた二木建二(ヤン・イクチュン)。その一部始終を目撃していた元ボクサーの堀口(ユースケ・サンタマリア)は、自らが運営するボクシングジムへと二人を誘う。(パンフレットより引用)

原作 寺山修司。主演 菅田将暉、ヤン・イクチュン。監督 岸善幸。
前篇後篇と合わせて305分の映画だった。

幾つかの見方があるけれど、「突っ込みどころはあるけれど、面白かった」というざっくりとした感想が一番大きい。人間模様を描いて「これは人間ドラマだ」と思わせておいて、まさに死闘と言うべき熱いボクシングシーンは「スポーツドラマだ」との感想も持てる。自殺抑止研究会やデモ、震災を背景においたシーンは「社会風刺ではないか」とも捉えられる305分には収まりきらないような作品だと感じた。

私は学生時代に文学部で寺山修司の作品について研究していたし、寺山修司の作品のファンである。ファンの視点で観ると、この映画には「そこでその言葉を使うか」とニヤリとする場面も多かった。競馬のシーンや母親との確執、父を失っている過去、白塗りの表現者なども寺山の作品に多く見られるものだった。

「監督や脚本は寺山修司が好きなんだな」と思えるほどの「寺山修司要素」が含まれていた。

寺山がこの映画をどう思うかはともかく、モダンジャズ方式で書かれた1966年の原作を、現在から近未来にかみ砕いて再構築していたと私は感じている。原作よりも仲が良い新次とバリカンであったい、J・A・シーザーではなくブラフマンが歌う主題歌も、現代っぽくて良かったと思える。元々、寺山の作品自体がコラージュのようなものだから、親和性は高く感じるのかもしれない。

何より、演劇ではなく、寺山が晩年力を入れていた”映画”という表現方法で、この現在に寺山作品を観られたことがとても嬉しく感じている。

言葉から舞台に移り、映画になった。

読み手の想像を膨らませるような作品から、寺山の頭の中をそのまま見せつけるような手法になった。私たちの想像力では寺山に追いつかないとでも言われているようだったと、作品を追いかけていて感じた記憶がある。

次に、映画ファンの視点で考えるとこれは「微妙」なのではないだろうか。

原作はバリカンの死亡診断書で終了しているが、映画では新次のなんとも言えない表情で終了した。終わり方について、いわゆる”バズらせる”ことを意識したように感じた。
原作を読まないと自殺フェスティバルについて「何だこれ」と思うだろうし、移動手段に疑問を抱いたりする。
ボクシングシーンなどは息を飲むような迫力があるし、出演者の演技も素晴らしいのだが、如何せん「寺山修司要素」が強すぎるのではないだろうか。
上映期間の関係で日本アカデミー賞にノミネートされないと一部のファンが騒いでいたが、それも狙いではないかと邪推してしまう。

なので、映画としてみると「微妙」なのではないかと私は感じてしまう。


役者のファン目線でも見ることはできると感じているが、人によって度合いが変わるように思う。
今をときめくイケメン俳優として菅田将暉が「体当たりの演技」などと注目を浴びる映画だったが、インターネットメディアなどは「迫真のボクシングシーンに注目!」といった話題が多かったのは残念に感じている。そこじゃねーだろ、と思ったのは寺山ファンというフィルターが私にかかっていたからかもしれない。

寺山の作品は合う合わないがあると思っているし、特に『あゝ、荒野』はモダンジャズ方式と本人が言っているが、くるくる変わる文章に読みづらさを感じる人は多いと思っている。だから、原作を読んで記事を書いたメディアは多くないのではないかと感じた。

私は、人に感想を聞かれたとき「面白かったよ」と答えているが、「どこが?」と聞かれるとちょっと詰まってしまう。でも、確かに面白かった。
新宿で遊び歩くこともあるからゴールデン街にはより親近感を覚えたし、見終えて新宿の街を歩くと「私は生きてる。生きねば。」と漠然と思ったりもした。

感想なんて個人の主観でしかないけれど、久しぶりに生きた寺山作品に触れて色々考えることが出来たのはとても良かったと思っている。

どこまでも、どこまでも荒野だ。
後ろを振り向くと荒野ばかりなのだ。
だから、寺山作品を時たま読んでは自分の居場所を探す。

忘れないようにしないといけない。”何か”を、忘れてはいけない。
そんな風に思いながら、夜の新宿を歩いて帰った。

面白かったよ、この映画。

思い出さないでほしいのです。思い出されるためには、忘れられなければならないのが、いやなのです。(寺山修司)


追記

桂花ラーメンは行けなかったけど、Bar荒野に行ってきた。
前日に監督と山田裕貴さんが来ていてらしく、お話を聞かせてもらいました。

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