わたしだけの
わたしは、いぬの物語が書けない。
何度か試してみたが駄目だった。
いぬは特別だから。
ずいぶん昔に死んだ、たった一匹のダックスにまだ心が捕らわれていてそこから離れることができない。
その執着と記憶と悲しみがあまりにも心地よいので、手放す気も起きない。
父が縁側から上がってきて、首を振った。
母が「……んだ?」と聞いて、父は「だめだ」と答えた。
そこでわっと泣き出して、そこから先はあの子のことを見ていない。
毛布にくるんで見せてもらえなかった。
小さなしっぽが少しだけ見えていたような気がするが、作られた記憶のようで現実味がない。
いぬくさい毛布の色が懐かしく蘇る。
あの子は段ボールに入ってやってきて、段ボールに入れられて連れて行かれてしまった。
泣いて嫌がっているうちにどこか知らない場所に埋葬されてしまった。
両親は忌み事を忌避する古い人間で、小動物の死に子供が触れるのを特にきらった。だから、裏山のどこに埋められているのか聞いても答えてもらえない。
ミニチュアではない短毛のスタンダードダックスで、茶色一色の丸い眼をした子だった。
何年たっても消えることなく、ずっとこの胸の中にいて、同じ目でじっと見上げて尻尾を振っている。
物語の中で動き出してくれないし、動かなくていい。
ずっとずっとそのまでいて欲しい。
おわり
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