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母の話と親戚のわるくちという禁じ手



どうにも落ち着かないので、いらないことまでさんざん考えてしまい、ついに禁じ手が発動した。

うちが一番蒙っているコロナの影響は、実は子供休校ではなくて、おばあちゃん面会禁止であります。もうまる二か月会っていない。

心配しても仕方がないのだが、気になる。

ほっとけば?会えなくて逆に楽でしょ?とささやくわたしもいる。二年間、地獄のような認知症介護との闘いに直面して本当にキツかった。

もともと依存傾向のある人で、私はこども時代、ずいぶん早くから「母はマザーという抽象的概念ではなくて、自分とはまったく別個の一人の人間なのだ」ということをはっきり認識するに到った。

要は期待するのをやめたのだが、これは私にとってはポジティブな方向に働いたが母自身はわたしを別個の人間とは認識してくれない。

依存されていることに対してこうも長い年月が経つと、それはすでに私の一部となっている。
共依存という言葉を使って、その依存を受け入れることから自由になるのが正しいのかどうか私にはわからない。

多かれ少なかれ、誰もが誰かに依存して生きているのだし、だとすれば「人は一人では生きられない」という社会的動物である人間のさがから離れるのもまた矛盾だ。

まあとにかく、母にはなんとか施設に入ってもらい、一時期ひどかった欝状態からも脱出できた。よい距離感を取れるようになったと思っていたところなのだが…。

コロナ騒ぎで突然、途切れた。


* * *


母のことを考えていると、どうしてか母の妹、おばのことが心をよぎる。

わたしが母の介護をしているとき、過去を振り返って「毒親」という言葉を使ったことがある。
そのとき、おばは多大なるショックを受けていた。
「自分の親のことを…ど…ど…毒親だなんて!!!な…なんて事を…」
毒親という言葉にそれほど過剰反応したことにわたしがびっくりした。

まず毒親という言葉はもう相当に浸透しており、みんな知っているぐらいに思っていたので、知らないことにもびっくりした。

それから遅まきながら腹立たしくなってくる。
あなたはかつて影で散々、母のことをディスっていたではないか。悪口三昧だったよね。よく知っているよ。

正直、母は毒親などというそんな一言で語れるようなものではない。はっきりいってその「毒親」という言葉にふさわしいのは母ではなくおばだ。
あなたはキング・オブ・毒親だ!(うちの親戚の中でのキング)
いとこがどれだけあなたに苦しめられたと思っているんだ。

母に比べればまったくといっていいほど真逆の典型的な「よい母親」であるおばだった。
料理上手で明るくて、ほのぼのしていて常識的に見える。だがものすごく無神経な所があって、そのくせ奇妙に上から目線だ。

「よい母親像」はすべて、いとこの弟くんにしか注がれなかった。
おじも相当に病的なほど神経質でそこも問題だが、それはおばが「よい母親」をいとこにも注いであげていられればダメージは緩和されたはずだった。
おばが外見的に「理想的な母親」であればあるほど、それが自分に対してだけ機能しないことが、いとこをひどく傷つけていた。

いとこは毎年うちに、長いこと療養のように遊びに来ていた。
帰るときに、あまりにも表情が違って生き生きしているのでびっくりした、と言われる。
その繰り返しだった。

離れ離れになってからも、いとこのことはずっと心配だったし、血を流すような闘争を経て大人になっていく過程にもう関わることはできなくて、影から見守ることしか出来なかった。

おばに言われたことがある。
「悠ちゃんはわたしのことを、(いとこを)差別するって言ってずっと怒っていたけど、違うのよ。愛情はあるの。あったの。でも表現の仕方が違ってたのよ。それをわかって欲しい」

わたしは非難を口に出したことはなかったと記憶しているが、かなりはっきり態度に出ていたのだろう。

あれほど仲の良かったいとこと疎遠になった理由の一つに、私がおばをいつまでも容赦なく糾弾しているからという側面がある。

外見の態度はどうあれ、私はおばに対してあれだけの事をしといて今更何を言う、という気持ちで常にいる。
だがいとこはあれだけのことがあってもなお、母親であるおばのことが好きなのだ。(今はあの時代を「なかったことにしたい」ようにしていると感じる)

翻って、自分が母のことを考えているときのことだが、たとえ母に対して「毒親」という言葉を自分で使っていても、わたし以外の人が母を否定するのは許さん、という気持ちがある。おばを許さない気持ちの根底にも、そこがある。

反発していても、欠点を誰よりもわかっていても、辛辣に書いていても、依存が苦しくても、嫌だと思っていても。

すべてを否定出来れば簡単だ。
愛をそれでも求めるから苦しい。
そして、その愛は相手が持っている表現とこちらが求めているものとは違う。親の方に愛情がない・ゼロ、ということはないとわたしは思っている。親側の話を聞くとまったく別次元の心のどこかに愛は持っていたりする。でもそれは子どもにとって、ないよりも残酷なことだ。あるならなぜ…?なぜ?と思う。

本当はこんな風に話題にされるのをさぞ嫌がるだろうな、いとこは。
長じてからおばと会ってみて、おじのあの厳格で病的なほどの神経質さとうまくやっていくには、無神経で自己中心的でなければ無理だったことも理解はした。おじは社会的には立派な人なのだが、暮らしていくのは難しい。
そんなおじもいとこの弟くんだけには態度が違っていた。

わたしはこのおじおばのすべてはやはり受け入れがたい。いとこはなかったことにしていてかまわない。わたしはわたしで、この赤黒い怒りをいつまでも忘れずに貯めているから。


* * *


おじおばはともかく、面会禁止になっている母。
戦っていても離れていても、母とわたしは「本」でつながっているという感覚がどこにいてもある。

第三者が入って取り持ってくれているような感覚だ。とても冷静で知的な媒介者がいる。
どんなに激しいけんかをしても、本の話題に入るとすっと落ち着くことができた。(しかし、本を読むということが人格とはまったく関係ないということを証明したのもまた母だった)

そして裏腹ではあるが、これほど依存に悩まされてきていても、母の本を少しずつTwitterなどでアップしたときに褒めてもらえたり、いいねをもらえたりするのが本当に嬉しいのだ。

この葛藤をもっと静かに振り返ることができるようになったとき、それが「親を超える」という風に表現されるのかもしれない。そしてそれには、他者の存在が手を貸すこともときに必要なのかもしれない。こんなふうに、アウトプットしたものを静かに読んでくれるかたがたがいるというような種類の。






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