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超短編小説|大人のぎんなん

小説を書きました。ショートショート(掌編小説)なので、5分くらいで読めると思います。

 ある晴れた秋の日。
僕は公園のベンチに横になって、読書に勤しんでいた。積み重なった本を枕にして、心地の良い風をたくさん浴びていた。

 あまりの気持ちよさに、時間を忘れて何時間もそこにいた。僕の右手だけがせわしくページをめくっている。そんな読書の秋。

 通りすがる人たちは、明らかに僕を避けていた。まるで透明人間になったみたいだ。試しにじっとにらみつけてみたが、頑なに目を合わせてくれない。

 彼らは上を見ている。
僕の頭上を覆ういちょうの木には、ぎんなんの実がなっていた。

「匂いは大丈夫なの?」

 びっくりした。
とつぜん誰かに話しかけられた。僕は起き上がって周囲を見渡したが、通行人は誰ひとり気づいた様子はなかった。

 なんだ空耳か。
僕はふたたび視線を落とし、中断した読書を再開した。

「匂いは大丈夫なの?」

 まただ。声の主は頭上にいた。
もしかすると、天の声かもしれない。それが神様なら、話は聞いておかないとバチが当たる。きっとそうだ。

 僕はゆっくりと顔を上げると、大きなぎんなんの実が振り子みたいに左右に揺れていた。僕はそれをじっと見つめた。揺れは次第に小さくなり、ぴたりと止まった。

 それから、ぎんなんの実がパカッと開いたりパカっと閉じたりを繰り返し、「本当に匂わないの?」と言った。びっくりだ。ぎんなんが人間の言葉を話すなんて。

 僕は鼻で大きく息を吸ってから、「言われてみれば」と返した。ぎんなんは少ししぼんだ。それが人間の顔みたいに、どこか切ない表情に見えた。

「子どもたちがここを通ると、わたしはいつも嫌われているわ。だってそうでしょ?」
「でも秋の紅葉を見るために、全国から大勢の人が来てるじゃないか」
「そんなの知らないわ。毎日やって来る子どもたちは、わたしのことを”くさい”って言うのよ」

 ぎんなんは、ひどく落ち込んでいた。
僕はなぐさめる言葉を探したが、脳みそは考えることを諦めていた。だって、ぎんなんはくさい物なのだから。仮に太陽が西から登って東に沈んでも、その事実は変わらない。天才バカボンだって、そう言うに違いない。

「わたしはお化粧だってできないし、綺麗なお洋服だって着れないし、香水で匂いを消すこともできないのよ。自分ではどうすることもできないのに、”くさい”って言われつづけるのよ」

 僕は世間知らずだ。
ぎんなんが言葉を話すなんて知らなかったし、こんなにも悩んでいたなんて思ってもみなかった。よく見ると、このぎんなんには大きなシワがある。それも数えきれないほど。

 きっと彼女は、下からの罵声ばせいに耐えきれなくて、ストレスが溜まっているのだ。あるいは、僕の方が疲れているのかもしれない。

 僕は少し考えて、「反抗期ってやつかな」と言ってみた。これなら納得してもらえるかもしれない。

「人間には反抗期っていうのがあって、みんなが通る道なんだ。大人になるための通過儀礼みたいなものだよ」
「じゃあ、あなたも子どもの頃、ぎんなんがきらいだったの?」
「そうさ。大人になると、"ぎんなんがくさい"なんて言わなくなるんだよ」

 僕は嘘をついた。
それは、どこまでも真っ赤に染まった嘘だった。

 ぎんなんは口をヘの字に曲げた。
どうやら、まだ納得できていない様子だった。僕はこれ以上話してもらちが明かない気がした。

 きっと人間には人間の考え方があり、ぎんなんにはぎんなんの考え方があるのだ。

 僕は彼女に「さよなら」を告げて、その公園を後にした。

✳︎✳︎✳︎

 秋になると、僕はついつい思い出してしまう。公園で出会った、あのぎんなんのことを。

 僕は炊き込みご飯を食べながら、テレビを見ていた。お茶碗に盛られたご飯には、一粒のぎんなんが顔を出していた。

 ぎんなんのおいしい季節である。

 改めまして、雨宮大和です。最後まで読んでくれてありがとうございます!!
 今回は、小説をお届けしました。いかがでしたか!? 最近、吉本ばななさんのエッセイ集『イヤシノウタ』に出てきた"銀杏ぎんなんの匂い"という言葉が気になって、ぎんなんについての物語を書くことを決めました。ぎんなんの季節にはまだ早いので、また後日書こうか迷ったけれど、書いたらすぐ出せるのがnoteの良いところなので、書いてすぐに出しました。

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次に読むなら

ある日の朝、イベント制作会社で働いている主人公の"僕"は、目を覚ますと牢屋に閉じ込められていた。いったいそこは、どこなのか?最後にあっと驚く展開があるので、ぜひ読んでみてください。

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