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超短編小説|仮面

 人の素顔を見ることはできないのか。仮面の奥には何が見えるのか。M氏は、時々そんなことを考えていた。

 そして、そんな想像をすればするほど、むかし母から聞いた話を思い出した。

「お母さんが若かった頃はね、仮面なんて付けてなかったの。ちゃんと顔を見てお話ができたわ」
「仮面を外すと、みんな顔は違うの?」
 M氏は、夢中になって話をつづけた。
「みんな顔は違うわ。それでも、化粧をしないといけなかったの。だから、見た目で人を判断するのは、今も昔も変わらないのよ」

 この国では、仮面を付けることが義務付けられていた。学校へ行く時も、会社へ行く時も、買い物へ行く時でさえ、みんな仮面を付けていた。家族以外の素顔を見ることはなかった。

 どんな種類の仮面を付けても問題はなかった。ファッションが好きな人はおしゃれな仮面を付けるし、アニメが好きな人はキャラクターの絵が描かれた仮面を好んでいた。なかには、奇抜な仮面を選ぶ人もいた。


 M氏は目を覚ました。起き上がるとすぐに、軽くのびをする。コップの水をいっきに飲み干す。それから彼女は、あっという間に身支度を済ませ、玄関に置いてあった仮面を付けて、家を出た。

 M氏は、かなり地味な仮面を付けていた。職業柄、目立たないようにするためだった。彼女は、高校で数学を教えている。

 M氏の授業の分かりやすさには、かなりの定評があった。放課後になると、彼女の職員室の机の前には行列が並ぶ。勉強の相談や進路相談に、丁寧かつ真摯に向き合う。
「この問題はね…」
 M氏の低く透き通った声は、見えないはずの表情を仮面越しに想起させ、生徒を興味へと導いた。

 なかには、恋愛の相談までする生徒もいた。それでも、先生は真剣に考えてくれる。時には生徒と同じ目線に立ち、時には人生の先輩として助け船を出すこともあった。彼女の仮面の奥には常に、人一倍の優しさと思いやりを隠し持っていた。

 M氏は学校へ向かう途中、銀行に立ち寄った。整理券を受け取り、長椅子に腰掛けようとした時、窓口から怒声が聞こえてきた。
「いいから、袋に金を詰めろと言ってるだろ」

 目の前には、拳銃を持った3人の男が立っていた。一人は銀行員に拳銃を向けており、もう一人は我々市民に拳銃を向けていた。最後の一人は、腕を組んでこちらを見ている。どうやら、ボスのようだ。彼らは、半分が白で半分が黒の少し奇抜な仮面を付けていた。仮面を見れば、誰が善良な市民で誰が強盗犯なのかは一目瞭然だった。

 まもなくして、私たちは一箇所に集められた。強盗たちは、スマホを一人ずつ回収していく。彼らの手際の良さを見れば、入念に計画されているか、強盗に慣れているかのどちらかだった。いずれにしても、彼らは落ち着いて作業を進めていた。

 立てこもりから1時間が経っただろうか。銀行のまわりには、多くの人だかりができており、警察も駆けつけていた。ついに、現場の指揮官らしき人間が、メガホンを手に取った。
「おとなしく人質を解放しなさい。そうすれば、君たちに危害は与えない」
 外の空気は、強盗犯とは対照的に、異常な緊張感に包まれていた。

 M氏は人質の群れのなかで、まわりを警戒しながら自分の出るタイミングを図っていた。一歩間違えれば、取り返しのつかない事態となる。彼女のもつ数学教師の巧みな計算が求められる瞬間だった。

 警察が動き出したのを察すると、M氏は群れの中で手を高く上げた。
「強盗さん。提案があります」
「なんだ?」
「みんなでここから逃げ出すのはどうでしょう?」
「逃げる?」
「仮面を外して逃げるのです」

 それは、強盗にとっても人質にとっても安全に逃げ出す提案だった。みんなが仮面を外せば、強盗も人質も区別がつかなくなる。これなら、人質に被害が生まれることもない。もっとも、銀行にとっては迷惑な話だが、これがM氏の考えた全員が安全に逃げ出す最適解だった。

 強盗3人は、こそこそとミーティングを始めた。彼らの話し合いの結果、M氏の意見が採用されると、強盗のボスが口を開いた。
「みんな仮面を外して、一斉に逃げるぞ」


  M氏は、教室へ入ると、すぐさま生徒たちが駆け寄ってきた。立てこもり事件はニュースとなり、学校内ではすでにこの話題で盛り上がっていた。M氏は、街のヒーローとなっていた。

「先生すごいね。学校の英雄。いや、街の英雄だね」
「そんな大袈裟な。当たり前のことをしただけよ」
 M氏は、控えめに話した。

 学校には、多くの記者が取材に来ていた。学校側も宣伝するいい機会だと考え、校内に入れた。彼女の取材は、数時間にも及んだ。

「どうして、このようなアイデアが生まれたのでしょうか?」
「普段、授業で教えている論理的思考力によるものです」
 彼女は、彼女終始、謙虚に答えた。何も特別偉ぶれることでもない。数学教師としての当たり前の最善手を打ち出しただけなのだ。


  M氏は自宅に戻ると、ベッドにぐったりと横になった。映画のヒロインのような1日だったのだから、それも無理はない。

 近くにあったリモコンを手に取り、テレビをつけた。そこに映し出されたのは、街を救った英雄、数学教師のM氏のニュースだった。チャンネルを変えても、自分のことでひっきりなしだった。

 M氏は、ベッドから立ち上がった。バッグを手に取り、中身を出して、机の上に並べた。一枚一枚、ゆっくりと数え始めた。
「今日で、こんだけ儲かったわ。ちょろいわね」
 M氏は、仮面の中で満足そうな笑みを浮かべていた。

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