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天使の蝶

 空に響く旋律サイレーン。白く灼けた街の骸。
 天使殺しエンジェルベインは稲妻を走らせるように、左右へ折れながら駆ける。

 狩りの獲物を追うように、風切り音が耳を掠めた。
 自動拳銃のグリップを握り締める。こんなことを長く続けてはいられない。銃弾は言うまでもなく、体力も集中力も有限なのだから。
 
 躊躇いなく、半ば崩れた壁を跳ぶ。束の間、視野が大きく開けた。
 白大理石の彫像じみた、細い体躯と一対の翼。
 光の亡い、灰白の眼。
 
 天使の眼が、機械的に天使殺しを捉えた。
 咄嗟に、左手でナイフを抜く。黒染めの刃先を霞んだ空に向け、身体ごと縺れ込む。天使の持つ十字短剣が背中を突き通すより疾く、切先を下腹に突き立てて、一息に引き切った。
 旋律が欠け、揺らぐ。
 胸郭まで深く切り裂かれた天使が、地面に斃れる。

 振り返る暇など有りはしない。包囲の僅かな綻びを縫い、砕け散った亡骸を踏みつけながら、天使殺しは建物の残骸へ潜り込んだ。
 在りし日には大規模な建築だったのだろう。目論見通り、屋内から外壁の残骸まで平坦で、視線と射線が通った。
 
 その中央へ、天使殺しは反射的に銃口を向ける。俯きがちに佇立する人形が、瓦礫に影を落としていた。

「……誰」
 無人地帯の只中で、ただの人間に生き延びられる余地はない。
 背中には鴉よりも黒い、三双六枚の翼。瓦礫へ突き立てられた、蒼黒い長槍の柄。
 
 紅い瞳が、天使殺しを見据えた。
「……夢には目醒めが、必要でしょう」
 その眼に宿る光は、嘗て世界を灼いた業火さえ生温く思われた。

「あなたは、何」
悪魔サタン光を掲げるものルシファー
 天使殺しにとって、天使は敵だった。それ以上でも以下でもない。空気を震わす旋律が、いよいよ疎ましい。
 
「あの日から、ずっと思っていた……目醒ましに、この旋律うたは優しすぎる」

 黒翼の天使が、柄を取って穂先を抜いた。
 同時に、天使殺しは自動拳銃のトリガーを引く。


(つづく)


#逆噴射小説大賞2023
#小説

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