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都立高校の入試にスピーキングテストを導入する件について

都立高校の入試でスピーキングテストを利用しようという話が進んでいて、それをめぐってあれこれもめているということなのですが…

この問題を私が最初に見たのは、毎日新聞2022/10/8の地方版でした。

(注:地方版とは、新聞の中で配布地域を扱った紙面です。私が東京在住なので、配られる新聞では、そのコーナーは「東京」となっています。)

その記事は

・立憲民主党都議団が「都立高校の入試で、スピーキングテストを利用することを事実上できないようにする条例案」を提出した。
・その条例案に賛成したのは、立憲民主党、都民ファーストの会の都議3名、その他。
・その条例案に反対したのは都民ファーストの会(のうちのほとんど)、自民、公明、共産
・都民ファーストの会は反対の立場だったので、賛成した都民ファーストの会の都議3名を除名した
・条例案の採決では反対多数だったので、この条例案は否決された。

というような記事でした。

つまり、今の流れを止めようとした人がいたけれども、止まらなかったということですね。

しかし、今回の「スピーキングテストを都立高校の入試に導入しよう」ということに反対する人も多くいて、毎日新聞 2022/10/20の東京版では、「「スピーキング」大学教授ら反対 都立高入試巡り」という見出しで、導入反対の大学教授5人(大津由紀夫雄さんや鳥飼玖美子さんなど)が2022年10月19日に都庁で記者会見をして「不公平な入学者選抜が行われる可能性が高い」と活用中止を訴えたという内容の記事がありました。

実は、この問題、なかなか込み入っています。

新聞だけでは、この話の全貌はわからないのですね。

例えば、この新聞記事だけだと
「英語のスピーキング能力を高めるのは重要なことじゃないの? 立憲民主党は英語のスピーキング能力はどうでもいいと思っているの?」
「共産党は条例案に反対と言っているけれども、都の教育委員会が進めている方針に賛成しているの?」

などと言う人がいるかもしれません。

しかし、あれこれの情報を総合してみると、上のような見方は間違っている(要点を外している)のですね。

ということで、少し整理しておきたいと思います。

まず、そもそも論なのですが、スピーキングテスト導入は

(A)都教育委員会が各市の教育委員会に対して、中学生のスピーキング能力がどうなっているかを調べるため、「中学校英語スピーキングテスト」(ESAT-J イーサット・ジェイ)というテストの実施を課した

ということが元になっているわけです。

※「ESAT-J」は「English Speaking Achievement Test for Junior High School Students」の略称とのことです。

つまり、高校入試とは関係なく、いわゆる学力テストの一環というような位置づけになっているのですね。(実施は11月)

いきなり始めると混乱するということで、令和元年、2年、3年と「プレテスト」という形で既に実施されています。

どんな感じのテストなのかを知りたい方は、「中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)」 https://www.tokyo-portal-edu.metro.tokyo.lg.jp/speaking-test.html という東京都教育委員会が作ったサイトがありますので、そこの「過去問題・解答例」で試してみてください。

自分が受験する中学生になった気分でやってみるというのもいいのではないでしょうか。

以上が第1段階です。

今回の問題は、それに対して次のような決定が加わった点が事態を複雑にしているのです。(この決定自体は既定路線だったのかもしれませんが。)

(B)その「中学校英語スピーキングテスト」(ESAT-J)で得られた得点を令和5年2月に行われる都立高校の入学試験から使う。

つまり、(A)があって、そのあと(B)が加わっているという構成になっているわけですね。

ここで、問題が出てきます。

(1)都立高校入試の他の科目と同時期に入試問題として課すものではないので、「中学校英語スピーキングテスト」(ESAT-J)を受験していない人が出てきてしまう

という問題です。

つまり(A)で書いたように都教育委員会が各市の教育委員会に学力テストとして課しているものなので、例えば、東京都以外の公立の学校に通っている人、国立の中学校に通っている人、私立に通っている人などは、そのテストを受けていない可能性があるわけです。

(希望すれば受けることができるので、前々から都に転入することがわかっている人とか、前々から私立中学から都立高校に進むことを決めている人は受けるのかもしれません。しかし、そうではない人が出てくる可能性もあります。)

その場合、そこの部分を0点とすることはできないので、今考えられている解決策は、入試で点数が近い人の平均点を、その不受験者の点数とみなすという措置です。

ということで、他の人が取った点数でその人の能力をはかるというのは、おかしくないですか、という意見があるのです。

(2)都教育委員会が本来行える範囲を逸脱して決定をしてしまったのではないか(導入までの経緯に問題がある)

という批判もあります。

例えば、「都教育委員会が(A)を行うのはいいとして、(B)の内容を勝手に決めることができるのか?」という意見があります。

これは、都教育委員会が公立中学校に通う生徒の英語スピーキング能力がどうなっているかについての調査を課すのは権限の範囲内だけれども、都教育委員会というのはそれを入試に転用するということを一方的に決められる存在ではないのではないか、という意見ですね。

さらに、「都教育委員会というのは、ESAT-Jを強制する権限はないが、(B)を導入すると、事実上、都教育委員会がこのテストを強制したことになる。それは問題だ」
という意見を述べる人もいます。

さて、

(3)「中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)」の実質的な作成・運営を「株式会社ベネッセコーポレーション」が担っている

というのも、批判が多いポイントです。

都が作ればいいのですが、それを教育産業が代わりに行うのはどうなのか、という問題です。

ベネッセが行うということで以下のような問題が懸念されています。

・ESAT-Jはベネッセが独自に開発した(ベネッセの商品である)スピーキングテストGTEC(ジーテック)に似ている。ESAT-Jで高得点を挙げたいという人は、ベネッセのGTECを受けて練習しようとする可能性が高い。ということは、①これは都が一私企業の利益誘導に手を貸しているということになるのではないか、②何回もベネッセの試験を受けられる(いわば経済的に余裕のある)人が有利になるのではないか。

※GTECは「Global Test of English Communication」の略称とのことです。

・ベネッセは試験結果をフィリピンに持っていって、そこで募集した信頼できる採点者に採点してもらうと説明しているが、それが適切に行われた否かの検証ができない。(最悪の想定をした場合、採点者の採用が適当だったりする危険性がある。仮に適切な人材を揃えられたとしても、納期などの時間に追われるとか、採点料が安くてやっていられないなどと判断していい加減な採点をした人が仮にいたとしても、それをチェックすることができない。)

都立高の教員が採点するならば、教育の公平性のこともありますし、自分たちの学校に入学する人の運命を自分たちが決めるという点についての自覚があると思うのですが、部外者がそれほどまで真剣に取り組んでくれるのかという部分についての懸念があるという意見ですね。

さらに

(4)ESAT-Jの点数を入試利用において換算するときに生じる問題

に対する批判があります。

例えば、

ESAT-Jの点数そのものは100点満点で示されるのですが、入試に利用する段階ではそれを4点刻みの20点満点にするようになっています。

そこで起きる批判は

・ESAT-Jで100~80点を取った人が換算点=20点、79~65点の人が換算点=16点、64点~50点の人が換算点=12点、49~35点の人が換算点=8点、34~1点の人が換算点=4点、0点は換算点=0点に換算するというのだが、100点と80点の得点差は20点あるのに、換算点は同じ20点。しかし、80点と79点の得点差は1点なのに、79点の人の換算点は16点。つまり、80点の人は換算点=20点、79点の人は換算点=16点ということで4点の差が開いてしまう。これはおかしくないだろうか。

確かに、100~95点の人は換算点=20点、94~90点の人は換算点=19点、89~85点の人は換算点=18点…とやっていったほうが合理的だということは、小学生でもわかる理屈です。(それに、これについては改善しようと思えばすぐできるはずです。)

(5)スピーキングテストの配点に関する問題、

に対する批判もあります。

・ESAT-Jの点数は20点。他の点(あるいは高校入試の入試科目総点+内申点)とのバランスが悪い。例えば、①入試でペーパーテストの英語の点数は、数学や国語と同じなのだが、ESAT-Jの換算点は20点なので、その点数を加えると英語だけ配点が多くなってしまう。それはよくないのでは? ②スピーキングの換算点が20点というのは少し比重が大きいのでは?という意見。

②の「比重」についてはもう少し説明しておきます。(以下の計算、端数は省きます。)

高校によって計算のしかたが異なることもあるので、最も標準的と思われる例で言うと、

・入試では、国・英・数・社・理が各100点ずつ。つまり500点。これを700点満点に換算する。
・内申点は、計65点(主要5科目はそのまま、それ以外は2倍して産出)を300点満点に換算する。
・この合計1000点に、今回ESAT-J20点が加算され、合計1020点満点で合否を決める。

というシステムになっているわけです。

例えば、英語の成績を死にものぐるいで勉強して、成績(内申点)を「4」から「5」にしたとしましょう。このとき、300点換算の内申点では4.6点上がったことになります。

しかし、ESAT-Jで少しミスをして、それが元で1ランク下(つまり換算点で4点下)になったとして、成績を「4」から「5」にまで引き上げた努力を、一瞬のミスでほとんど打ち消したことになってしまいます。これが妥当かどうかということですね。

別の角度から見てみると、

スピーキングの換算点は20点ですが、例えば数学の内申の点を換算すると23点です。(このことが示しているのは、国・英・数・社・理の内申点がそれぞれ換算点で23点分の価値を持っているということです。)つまり、スピーキングの換算点20点というのは、ほぼ主要科目の内申の1科目と同じぐらいの点が配点されていることになりますが、それはどうなのかということです。

(6)公平性を保ったスピーキングの採点は至難の業だという意見

入試となると、公平・公正に行われなければいけないという理念があります。

今、示されているやり方では、公平性を保ったスピーキングの採点はできないだろうという意見があります。より厳しい見方をしている人の意見として、どのようなやり方を取ったとしても、公平性を保ったスピーキングの採点は難しいだろうという意見もあります。

そもそも採点基準が明確にならないので、採点者の主観で決めることになるのではないか。また、採点者の間でどうしてもばらつきが出てしまうのではないか、ということを言っているのですね。

これはスピーキングの採点が持つ性質です。

人材の問題でもあります。よって、(3)で書いたように仮にまずい点があったとしても後でチェックできないというのは問題があることになります。

この問題を真剣に考え始めると、(上記の)より厳しい意見を持っている人は、入試でスピーキングを課すことはやめたほうがいい(授業でその能力を伸ばしたり、その能力を見たりするべきだ)という結論にたどりつくようです。

(7)自分の音声を読み上げたり、一方的に話したりすることがコミュニケーション能力の養成と言えるだろうかという意見

今のテストだと、自分の音声を録音するだけですので、そればかり練習するということはコミュニケーション能力を養成していることとは違うことをしていることになるのでは、という懸念ですね。

まあ、これに対しては、人の言うことを聞いたり、自分で答えたりというのができないとコミュニケーションはできないので、コミュニケーション能力を見ているのではないけれども、その基礎を見ていることにはなるのではないかという反論もありうるのですけれども。

さて、こうやってみてくると、問題は多いように感じます。

改善すべきは改善したほうがいいと個人的には思うのですが…

少し気になるのは、推進派と慎重派の間には、問題にしている部分が違うということから、すれ違いが起きているという点です。

おそらく

「ESAT-J」の入試活用慎重派は、

・入試において公平・公正であるということは何よりも大切だ。
・不備が多い制度を提供するのは良くないことだ。

と思っているのでしょうし、

あるいは、

・ベネッセの金儲けに教育が利用されている、これはけしからん

などと感じている人もいることでしょう。

(大学の共通テスト記述式への参入が叶わなかったので、今度は高校入試に入り込もうとしているのだろう。手始めに東京、それで成功すれば、全国に…という心づもりだろうと予測する人もいます。)

一方、「ESAT-J」の入試活用推進派は、

・確かに入試の面では細かい点に不備があるかもしれないけれども、それは全体から見ればたいした問題ではない。
・このようにテストに絡めておけば、それがきっかけで勉強する人が増えるのだから、確実にスピーキング能力は全体としては上がるはずだ。
・それがもたらすメリットに比べれば、少しの点数の差で、ある高校に受からなくなったなどということは些末なことにすぎない。

などと考えるのでしょうね。

入試活用慎重派は、いかに良くないかということを細かい例や理論的根拠を挙げて示そうとするわけです。そうすることによって、事態を改善しようと思っているのですね。

しかし、入試活用推進派は、それを承知でより大きなメリットを目指すと思っているので、細かい例証などは、全然心に響かないわけです。

そのようにしてお互いの議論がすれ違うようですね。

追伸

「英語のスピーキング能力を高めるのは重要なことじゃないの? 立憲民主党は英語のスピーキング能力はどうでもいいと思っているの?」
という意見は見当違いです。立憲民主党は「英語のスピーキング能力」の養成に反対しているのではなく、少なくとも、現在推進されている「英語のスピーキングテストESAT-Jの結果を入試に転用する」ことに反対しているのです。(条例案を素直に読むと、学力検査つまり入試それ自体にスピーキングテストを導入することはできるが、その際、広く意見を聞いて、公平に行われるようにすべきというような内容になっています。)

「共産党は条例案に反対と言っているけれども、都の教育委員会が進めている方針に賛成しているの?」
という意見は見当違いです。共産党は都の教育委員会が進めている方針に反対しています。立憲民主党は都教育委員会の方針に反対して、それを止めるための条例案(「東京都立高等学校の入学者の選抜方法に関する条例(案)」)を出したのですが、共産党は(おそらく)「都教育委員会の方針には反対だが、都教育委員会の動きを、立法府である議会が法律(正確には条例)の形で縛る(強く制限する)のはよくない」という筋論から反対したのだと思います。

参考文献:

都立高入試「英語スピーキング」 活用見送り条例案否決 都議会 /東京 https://mainichi.jp/articles/20221008/ddl/k13/100/014000c

「スピーキング」大学教授ら反対 都立高入試巡り /東京 https://mainichi.jp/articles/20221020/ddl/k13/100/007000c

東京都中学校英語スピーキングテスト事業について https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/press/press_release/2021/release20210924_03.html

東京都立高等学校入学者選抜における東京都中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)結果の活用について https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/press/press_release/2022/release20220526_03.html

中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J) https://www.tokyo-portal-edu.metro.tokyo.lg.jp/speaking-test.html

中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)とは?問題と対策を徹底解説 https://www.seisekiup.net/column/study/1651/

英語のスピーキングテストが危うい 〜来年度から都立高入試に導入予定 https://imidas.jp/mikata/2/?article_id=l-60-026-22-01-g600

都スピーキングテスト、英語教育・テスト理論の専門家らが入試への利用中止を要望 https://www.asahi.com/edua/article/14752496

スピーキングテストに保護者の怒り(中)「1教科分の配点」「入試間際の成績送付」は理不尽すぎる https://www.asahi.com/edua/article/14708436

高校の入試制度を知りたい 東京都の入試制度 https://www.school-data.com/examinfo/exam_info01_01_02.php

スピーキングテストの結果を入試に活用しないための条例を提案 https://nakamura-hiroshi.net/news/view/475

「英語スピーキングテストは愚策」と、認知科学者が断言する理由 https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00087/101200318/

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