お疲れさま! 小林 信彦「本音を申せば」終了(2021.7.8)
小林 信彦の週刊文春エッセイ「本音を申せば」が、2021.7.8 第1117回「数少ない読者へ」で前触れも無く最終回を迎えた。原稿で言えば6月下旬、批判を続けてきた東京オリンピックの開始前で、小林 信彦らしい終わり方だなと思った。が、とても淋しい。その雑誌を開けば当然にあるものと思っていたエッセイやコラムが、急に無くなっていると、…もしかしたら…と心配になる。2017年の脳梗塞とその後の大腿骨骨折で休載のときも、最初情報が無く(週刊文春でも説明がなく、ネットニュースにも推測記事だけだった)気をもんだものだ。
『生還』でその経過が解かったものの、文章を書き続けるということへの情熱というか執念はどこから来るのだろう。「本音を申せば」見開き2ページで400字詰めの原稿用紙8枚(イラストや広告欄を引いて7枚くらいか?)を毎週書き上げる。それも締め切り前に。娘さんがアシストしてくれるとはいえ、大変な仕事である。なお、「本音を申せば」を読んでいると、購入した本や贈呈された本・雑誌(主な週刊誌+アサヒ芸能や週刊プレイボーイ等々まで)及び新聞(東京新聞他)を読み、日本映画や洋画のDVDを見、NHKBSプレミアムで映画を見る。そして、リハビリに通う。なんかもう、超人である。日記もせっせとつけているだろう。
日記といえば、おそらく小学校(のち国民学校)時代からつけていたのではないかと思う。それも、未来に自分は文章を書くことを職業とし、時代観察者として検索可能な日記をつけることを自分に課した、と勝手に想像している。だから、最初から和菓子屋「立花屋」のあとを継ぐことははありえなかった。しかし、親・兄弟への思い、長男としての責任(親戚付き合い、土地や建物の権利・老舗店舗の商売上の関係等)を考えないわけにはいかなかったと思う。生家も生まれた街も無くなり、大学を出ても定職に就かず。それをなんとかやってきたのが、文章を書くことによってであったと思う。(この項は多くわたしの推測によっています)
1971年に大学に入学し、上京してなにも分からないわたしは、狭くて暗いアパートで小林 信彦の本や雑誌の記事を、言わば、文化(映画・喜劇・芸人・テレビ・落語等々)の指針として読んできた。50年以上だ、淋しくなる。とはいえ、この新型コロナが収束したら試写会に行く、と書いている。今度は不定期でキネマ旬報などに書いてくれるとうれしい。
新型コロナで、「政治に殺されない」(どこかで読んだ言葉です)よう健康に注意してください。
「映画は、女優で見る。」小林 信彦
2021.08.28 sat
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