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フロイト、ラカンの精神分析に基づいたメンタル維持のための試論

 人は父親的存在からの寵愛及び承認という形でしか自身を保つことができない。言い換えると、どうやら人間は、何らかの他者Autreの承認がないと、自身の存在を認めることができないという性質があるらしい。  これは『饗宴』でソクラテスに対して愛されようとするアルキビデアスと類比的である。アルキビデアスはアガトンの寵愛を受けるという欲望のための手段としてソクラテスの寵愛を受けるというアガルマを望んだが、これと同じく、人は自分自身の存在を確保するという欲望のための手段として父親の寵愛を

    • 「申し訳ない」という裂け目 -ハイデガーとラカンをもにょもにょして-

       常々ハイデガーとラカンの述べる良心や罪悪感についての議論が折り合わさり、自分の中でリアリティが形成されつつあるという認識がある。しかし自分は学術畑の人間ではないので、あくまでハイデガーとラカンについての議論は補足程度に行うにとどめ、この両者を叩き台に良心や罪悪感について自分なりにつらつら書いていきたいと思う。  罪悪感を感じることは日常的なことだが、そこに根差しているメカニズムとは何なのか。単純に考えればそれは道徳の次元の話に還元されるわけだが、その次元が一次的ではないと考

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