Dear, My Friend

 僕は精神的に落ち込むことが多い質だ。故有って、詳細なことは書けないが、まあ、血を吐きそうになるほど辛いことやそれを克服するためのある方策は何度か体験したと書いておこう。現に、このノートを書き始めたきっかけだって、受け入れがたいことがあったから、その衝動をぶつける場所を探していたからというのが大きな理由だ。

 で、今日の本題。僕とある友達の話だ。彼も僕と似て精神的に不安定な部分があった。だからこそ、ウマが合ったのだろうけど、一方で決定的な違いも大きい。その違いと、友人に言いたいことがある。

 まず、僕。僕が生き永らえてきた理由としては周囲の人によるおかげが大きい。何か問題があるなら、とりあえず目に見える形で家族やら友人にサインを発していた。で、場合によっては問題解決のために彼らの知り合いに意見を乞うてきた。つまり、コネを活用した問題解決だ(と言っても、就活や進学でそれを使ったことはないし、使えるようなものでもない。あくまで、個人的な問題の解決にしか使っていない)。

 一方で、ある友達。彼は非常に繊細で、世界の隅々まで見る人間だ。だからなのだろうか。彼は人を信用していない部分があった。自力で問題を解決しようとする傾向が強い。自力で問題解決の方法やそのためのセミナーを探してきて、それに参加する。敢えて誤解を招くような言い方をすると、自力救済というのが彼のスタンスかもしれない

 客観的に見て、どちらが優れているということはない。僕のやり方は周囲の理解を得られやすい一方で、周囲の意見に押し流されてしまうことが多々ある。一方で彼のやり方は周囲に相談しない代わりに、自分で最適な方法を選べるし、優柔不断な僕としては自分で決められるという点にカッコよさを覚えるのだ。

 ただ、一つ。思うことがあるのは。

 友達なら、周囲の人を頼ってほしい。こんなとこで、書き殴っているような人間が信用できないのはご尤もだと思う。それでも、そんな訳の分からないセミナーに頼るよりも、もっと身近な人と悩みや、傷のなめあいをしてほしいというのは傲慢なのだろうか。
 どうか、僕の声が届きますように。


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