認められたものとそうでないものの話

最近は『鯉』という漢字を見るだけで幸せな気分になれる。

こういうちょっとした感情を公然と書き記すことができるようになったのも、今自分が自分の好きなモノコトを書き残せる環境であると自覚できるようになったからである。あまり好きなモノコトの表現が認められない環境で長いこと過ごしてしまったため、その自覚すら長いこと湧いてこなかった。

数少ない認められたことと言えば、「地獄耳だ」「記憶力がいい」くらいだろうか。それを周囲に認めさせ続けるために物凄く頑張った、辛いことでも。しかし裏を返せば、
・「地獄耳だ」→割と音が何でも耳に入ってくる
・「記憶力がいい」→何でも覚えているため嫌なことも忘れない
という状態を自分に強いていたことになる。

一方で、イラストや文字書きなどの創作活動に憧れながらもそれをするのを認められなかった。私が不在にしている間に勝手に部屋の机の引き出しを漁られ、書き溜めた創作物を全て捨てられたことは一度や二度ではない。学習性無力感を味わい、せめて認められたことを伸ばそうとそちらに全振りした結果が今の私だ。これから何度でも書くかもしれないが、その辺はリカバリーしていきたいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?