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『ああはなりたくない』と考える話

前回の話もそうだが、マナーに反したり自分に危害を加えたりする人を見たり聞いたりして『ああはなりたくない』と考えることの多い人生だった。脅迫まがいの勧誘をする親族、エレベーターの列に割り込む老婆、感情に任せて怒鳴り散らす年下の先輩、その他。そしてつい半日ほど前、ある考えに至った。『ああはなりたくない』と思った時点で自分の思考が止まっているのではないかと。

『ああはなりたくない』の対象が見えたとき、自分は絶対その対象のいる方向には進まないという決意をもつ。一方で、『そこに進まないのであればどこに進みたいのか』は自分で決めていない。その場に停滞している。

『ああはなりたくない』と思いそこに進まないことは大事だし、それらに苦しめられてきたのでその感情をもつのは悪いことではない。かといって自分はそこで止まっていていいわけでもない。完成されているわけでもないし。

ここまで文章化できただけでも結構今日はいいことしたと思う。

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