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花束みたいな謎を見た

さ〜て、しれっとnoteを書き始めるぞ〜

最後の投稿を読み返してみたら、その記事すら「2ヶ月以上ぶり」で、そのうえ空いてしまった間隔をなんとか取り繕うような御託をつらつらと並べていた。そこから1年弱が経とうというタイミングでいまこの文章を書いているんだから、書くにも書かないにも理由なんてつける必要はないな。

ゴールデンウィーク中に、リアル脱出ゲームへ行った。

久々の挑戦でかなり楽しかった。こういう謎解きって、経験があるのとないのとで明らかに成功率が左右される(かなり当たり前のことを言っていますね)。それは1つ1つの謎に対して慣れというよりも、もっと大きな、リアル脱出ゲームの構造みたいなものへの慣れという点で。

なんだけど、そこまで頻繁に参加できてないもんだから「経験値」が毎回ほぼリセットされた状態で挑んでいて、毎回同じようなミスを犯したりする。そして、謎うんぬんよりも自分の学習のしなさにモヤッとして帰宅するのだった…。

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「例の日」のために花束を買った。

花屋でイチから見繕ってもらうのは初めての経験だったんだけど、ものの15分ほどでかわいらしい花束が出来上がって、ちょっと感動してしまった。しかもさほど細かく注文をつけたわけでもなく、むしろぼんやりとした色味のイメージくらいしか伝えていなかったので、余計に驚いた。早さそのものにというよりも、その短時間で「答え」を出すことができる気概にというか…。

「創作物」(あえてこういう表現をしますが)って、当然だけど“たった一つの正解”みたいなものは存在しない。さらに、花なんてとりわけ非言語的で抽象度の高いジャンルだと思うし、今回に関してはお題も曖昧だ。自分が何かしらをつくるときには、割と言語的な世界のなかで考えて、ロジックで遊んだりそのうえになんとなく成り立っている風の説得力に頼ることが多いので、より凄みを感じる。完全に“人”の説得力で貫かれてしまった。

「センス」で片付けるのは乱暴だと思いつつ、感覚的なものづくりにあらためて畏怖を抱きながら帰った。謎解きよりよっぽど難しい問題に答えているのかもしれない。

スキをしてくれるとたまに韻を踏みます。